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塚本徳臣[つかもと のりちか]
塚本 徳臣(つかもと のりちか、1974年(昭和49年)2月4日 - )は、日本の空手家(参段)。極真空手(大山派)第6回世界王者(史上最年少での戴冠)、新極真会第10回世界王者(史上最年長での戴冠)。全日本大会の優勝は5回。新極真会世田谷杉並支部長。長崎県諫早市出身。身長186センチメートル・体重93キログラム。 == 来歴 == 極真会館東京城南川崎支部にて廣重毅に師事する。その後、分裂騒動で松井派に籍を置きながら大山派が主催する第6回全世界空手道選手権大会に出場し、同大会で優勝したことで入来武久らと共に廣重の下を離れ、大山派(現・全世界空手道連盟新極真会)に所属する。第6回全世界空手道選手権大会で優勝、その後、33連勝の記録を成し遂げた。それまで主流であった下段回し蹴り中心の組手から、ギャリー・オニールと一緒に練習した時に、ギャリーステップをヒントにして会得した軽快なフットワークと、「マッハ蹴り」と称される変則回し蹴り・膝蹴り・かかと落とし・胴回し回転蹴りなど、派手な大技を主体とした組手で一本勝ちを積み重ねたことから、革命児と呼ばれた。 2000年12月の第32回全日本空手道選手権大会で、一度は決勝で鈴木国博を判定で下すも、ドーピング検査で大麻の陽性反応が発覚し、優勝は取り消され、一時出場停止処分を受けた。 塚本理論(移動中に足を交差させる等)という独特な体術理論を持つ。「K-1等の興行的なものには興味がない、ただただ強くなりたいのです」と雑誌のインタビューで答えたことがある。 2010年の第42回全日本空手道選手権大会では、同大会5度目の優勝を果たし、2011年の第10回全世界日本空手道選手権大会では、準決勝でロシア代表のローマン・ネステレンコに胴回し回転蹴りで一本勝ちするなどし、同大会2度目の優勝を果たした。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「塚本徳臣」の詳細全文を読む
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