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塚田 真希(つかだ まき 1982年1月5日 - )は、茨城県下妻市出身の女性柔道家。土浦日大高校を経て東海大学卒業。綜合警備保障教育・訓練部所属〔柔道部 - ALSOK 綜合警備保障 〕。2004年アテネオリンピック柔道女子78kg超級金メダリスト。身長170cm。体重は125kg。血液型はA型。得意技は大外刈り。段位は四段。ニックネームはツマキ、つかちゃん。なお、63kg級でオリンピック2連覇を達成した谷本歩実からはマキティと呼ばれている〔「柔道全日本強化選手名鑑 2010」近代柔道 ベースボールマガジン社、2010年4月号〕〔〕。 == 経歴 == === アテネオリンピックまで=== 絵を描くことが好きだったこともあり、下妻中学に入学すると初めは美術部に入部するつもりだったものの、先輩に柔道部に誘われたことがきっかけで柔道を始めることになった。しかし、中学時代は県予選の3位になった程度であった〔女子柔道の塚田「本当は美術部に…」 日刊スポーツ 2010年2月26日〕。 土浦日大高校に入学すると寮生活を送りながら本格的な稽古に取り組むことになったが、1年の時には厳しい上下関係や、上級生に「あんたみたいな弱い相手とは練習してあげない」などと暴言を浴びせられたことで精神的に参ってしまい、実家に3週間ほど逃げ帰っていたことがあったものの〔「解体新書 塚田真希」近代柔道 ベースボールマガジン社、2000年12月号、91-94頁〕、気持ちを持ち直して再び稽古に取り組むと、全国高校選手権78kg超級では1年の時に3位、2年の時にはオール一本勝ちで優勝するまでになった〔。さらに、国体少年女子の部では茨城県を2年連続優勝に導いた〔。また、3年の時にはフランスジュニア国際で優勝すると、金鷲旗の決勝では埼玉栄高校を3人抜きしてチームに初の優勝をもたらした〔。さらに、全日本ジュニアでも優勝を果たした。初めてのシニアの国際大会となった福岡国際では無差別に出場したものの5位に終わった〔。 2000年4月には東海大学に入学すると、フランスジュニア国際では2連覇を飾った〔。6月の学生優勝大会では早くもチームの優勝に貢献することとなった。さらに、9月の全日本ジュニアで2連覇を達成すると、10月の世界ジュニアでも優勝を飾った。学生体重別と11月の全国女子柔道体重別選手権大会では決勝で筑波大学の薪谷翠に敗れて2位にとどまった〔。12月の福岡国際では78kg超級で5位だったものの、無差別ではキューバのダイマ・ベルトランに注意で敗れたものの2位となった。この試合において女子代表監督の吉村和郎に、最初は「こら〜、いけ〜」と声をかけられていたが、そのうち、「こら〜、いかんかい、このデブ」となると、最後には「このくそデブ」と罵倒されて、試合後に大泣きした〔。 2001年2月のオーストリア国際でシニアの国際大会初優勝を飾った〔。4月の体重別と全日本女子選手権では大阪府警の山下まゆみに判定で敗れて3位だった。6月の学生優勝大会では3位だった。8月に北京で開催されたユニバーシアードでは決勝で地元中国の袁華に敗れて2位だったものの、10月の学生体重別では薪谷を破って初優勝を成し遂げた。12月の福岡国際では78kg超級の初戦で敗れると、無差別では5位にとどまった〔。 2002年4月の体重別では昨年に続いて山下に判定で敗れて3位だったものの、全日本女子選手権の決勝では前年のチャンピオンである薪谷に2-1の微妙な判定ながら勝利して初優勝を果たした。6月の学生体重別では昨年に続いて薪谷を破って2連覇を飾った。10月に釜山で開催されたアジア大会無差別では決勝で佟文に横四方固で敗れて2位に終わった。続く学生優勝大会では2位だった。12月の福岡国際では78kg超級で3位になると、無差別では中国の買雪英に注意で敗れて2位だった〔。 2003年2月のドイツ国際をオール一本勝ちで制すと、4月の体重別決勝でもコマツの徳田美由樹を大外刈で破って初優勝を果たした。続く全日本選手権では決勝で帝京大学の近藤悦子を袈裟固で破って2連覇を達成して世界選手権代表に選出された。さらに、6月の学生優勝大会でもチームに優勝をもたらした。9月に大阪で開催された世界選手権では準決勝でベルトランを合技で破るなどオール一本勝ちで勝ち進むが、決勝で中国の孫福明に背負投で敗れた。12月の福岡国際では78kg超級で3位だったものの、無差別ではオール一本勝ちして今大会初優勝を飾った〔。 2004年2月のフランス国際では3位だった。その後大学を卒業して綜合警備保障所属となった。4月の体重別と全日本選手権の決勝ではミキハウスの薪谷を効果と横四方固で立て続けに破って、アテネオリンピック代表に選出された。8月のアテネオリンピックでは準決勝でロシアのテア・ドングサシビリを合技で破ると、決勝では最大の強敵と見なされていた孫福明を準決勝において谷落で破ったベルトランとの対戦となり、先に大外刈で技ありを取られたものの、寝技の展開から逆に後袈裟固で抑え込み、オール一本勝ちでオリンピック優勝を果たすことになった。これにより、日本の女子選手が世界大会の重量級を初めて制覇することにもなった〔塚田、オール一本で「金」! スポーツナビ 2008年8月20日〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「塚田真希」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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