|
古橋 美知子(ふるはし みちこ、女性、旧姓:塩川、1951年(昭和26年)1月26日 - )は、日本の元バレーボール選手。 == 来歴 == 島根県松江市出身。「他に部活がなくて」小学5年よりバレーボールを始める。四天王寺高校を経て、1969年(昭和44年)に日本リーグのユニチカ貝塚(当時)に入部。 1970年(昭和45年)に全日本メンバーに選出され、1970年(昭和45年)の世界選手権銀メダル、1972年(昭和47年)のミュンヘンオリンピック銀メダルを獲得した。 一方国内では、1973年(昭和48年)からチーム主将を務め、1976年(昭和51年)の第9回日本リーグにおいてサーブ賞を獲得し、チーム準優勝に大きく貢献した。同年ユニチカを退職し、山陰中央新報に就職。鳥取、島根両県の小中学生やママさんバレーの指導を担った〔月刊バレーボール 1978年4月号 158ページ〕。 1977年(昭和52年)に結婚するが、バレーボール指導者として足りなかった理論(スポーツ心理・トレーニング論など)を学ぶために、1978年(昭和53年)に東京の日本体育大学体育学部体育学科に単身で入学する。学生チームのセッターとして、同年のアジア大会や1979年(昭和54年)のユニバーシアードメキシコシティ大会などに出場し活躍した。在学中の1980年(昭和55年)に、控えセッターとしてモスクワ五輪の代表メンバーに選出されるも日本政府が出場をボイコットし、悲願であった2度目のオリンピック出場はならなかった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「古橋美知子」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Michiko Shiokawa 」があります。 スポンサード リンク
|