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増善寺[ぞうぜんじ]
増善寺(ぞうぜんじ)は静岡市葵区慈悲尾(しいのお)にある曹洞宗の寺院である。天武天皇10年(681年)に法相宗の始祖道昭法師が開いた真言宗の寺で、「慈悲寺」と呼ばれていた。 == 沿革 == 明応9年(1500年)曹洞宗に関心の深かった駿河の国主で後に今川家中興の祖と呼ばれた今川氏親(今川家7代当主)は辰応性寅禅師(しんのうしょういんぜんじ)に帰依し性寅(しょういん)を開山として七堂伽藍を整えて、再興し、曹洞宗に改め、今川家官家増善寺となった。大永6年(1526年)6月23日、今川氏親が亡くなると、この寺で戦国大名史上、他に例のない大葬儀が営まれた。寺には、苔むした氏親の墓とともに460年前に造られた等身大の木像が安置されている。 寺宝として、今川家古文書をはじめ、徳川家康寄進の天目茶碗・扇・硯などがあるが、これらは静岡市文化財資料館(浅間神社境内)に展示されている。 寺の裏山に南北朝期の安倍城跡がある。一大城砦網の拠点としての安倍城主狩野貞長との戦乱において多大な年月と戦乱の末、間もなく、今川家は根拠地を駿府に移し、守護大名として、東海に君臨するようになった。その後、度重なる内紛が起こり、その渦中で幼少を過ごした氏親にとって、安倍城をひかえた自然の要塞の地「慈悲尾」に今川家の菩提寺とし自らの安息の地を求めたのは決して偶然のことではない。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「増善寺」の詳細全文を読む
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