|
増島 徳(ますじま とく、1886年1月29日 - 1965年6月21日)は、埼玉県の医師、政治家。奥富村(現狭山市)出身。 1920年飯能町(現飯能市)に移住し、飯能病院を創設し院長となる。戦後、学校給食の実施を公約して飯能町議会議員に当選。1949年2月、飯能町長就任。1952年、元加治事件の責任をとって辞職。 しかし、1962年4月、飯能市長選に無投票当選。在職中の1965年6月21日急死。享年79。 飯能市長時は下水道、終末処理場を建設し、また菊作りと蘭の栽培には、他の追従を許さず、東洋蘭の全国会長ともなって幾多の名品を残している。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「増島徳」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|