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第二次怪獣ブーム (だいにじかいじゅうブーム)とは、1971年(昭和46年)から1974年(昭和49年)にかけてテレビ番組を中心として起こった社会現象。別称、「変身ブーム」〔。「特撮TV番組」だけでなく、「アニメTV番組」も含まれる。 == 概要 == 発端年である1971年(昭和46年)は、第二次ベビーブームに伴う児童増加に伴い、「勧善懲悪ヒーロー」が登場する番組がテレビ子供番組を網羅していた時代。1966年(昭和41年)発端の「怪獣ブーム」はすでに過ぎ、映画界は斜陽を迎え、テレビ番組が子供たちの娯楽の主役となり、また子供番組は特撮よりも「スポ根もの」やアニメが大半を占めていた〔。しかし、「第一次怪獣ブーム」期の作品の再放送は絶えず続けられていた。 1970年(昭和45年)、TBSが9月28日から『ウルトラファイト』(円谷プロ)を放映開始すると、玩具会社「ブルマァク」の怪獣ソフビ人形の売れ行きが急増。ブルマァク社は「怪獣ブーム」再燃を確信し、玩具店店頭でキャンペーンを行い、円谷プロやTBSに新番組制作を積極的に働き掛けた。 1971年(昭和46年)1月2日、ピー・プロダクションはフジテレビで「怪獣ブーム」再燃の発端と言われる『宇宙猿人ゴリ』を放映開始。およそ3年ぶりに「巨大ヒーロー番組」がテレビに帰ってきた。 続いて4月より、かつて「怪獣ブーム」を支えた円谷プロダクションによる『帰ってきたウルトラマン』がTBSで放映開始。 1971年(昭和46年)後半からは、特撮ヒーロー番組も一気に増えることとなり、同じ変身番組の『シルバー仮面』(TBS)と『ミラーマン』(フジテレビ)が同時間帯でぶつかり合うという現象まで起きた。テレビ主体の「変身ブーム」がピークを迎えた翌1972年(昭和47年)には、在京在阪のテレビ局が番組制作を競い合う状況となり、番組編成にも影響を与え、関東地方において『変身忍者嵐』(毎日放送)と『ウルトラマンA』(TBS)がぶつかり合う同様の現象を招いたほか、『突撃! ヒューマン!!』(日本テレビ)のように制作局側が『仮面ライダー』に対抗してわざと番組放映を同時間にぶつけるなど、実写・アニメを問わない熾烈な競争が繰り広げられることとなった。 この社会現象としての「怪獣ブーム」、「変身ブーム」が「第二次怪獣ブーム」との呼称で文献に現れるのは1979年(昭和54年)発行の「空想特撮映像の素晴らしき世界・ウルトラマンPART2」(朝日ソノラマ刊)、「大特撮」(有文社刊)などからである。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「第二次怪獣ブーム」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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