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日本 > 関東地方 > 千葉県 > 船橋市 > 夏見 夏見(なつみ)は、千葉県船橋市にある地名。本項では近隣の夏見台・夏見町についても記述する。当地域の2016年1月1日現在の人口は、夏見が15,846人、夏見台が10,237人、夏見町2丁目が67人、合計26,150人(船橋市町丁別人口表より)。 == 由来と歴史 == 平安時代、保延4年(1138年)に伊勢神宮の荘園となっており、夏見御厨の名称で記録に残されているため、古くからの地名だといえる。しかし、室町時代頃に伊勢神宮領の管理下を離れた後、江戸時代に東夏見村と西夏見村に分かれる。それぞれ別々の旗本の知行地とさして分割統治された。そして1889年(明治22年)の町村制施行に伴い、両夏見村は八栄村の大字東夏見・西夏見となる。 八栄村は1937年(昭和12年)、船橋町、葛飾町、法典村、塚田村と合併し、船橋市となった。1940年には市内の大字が廃止されて「町」に再編され、東夏見・西夏見の区域は夏見町1・2丁目となった。 1971年(昭和46年)、住居表示整備により夏見1 - 7丁目、夏見台1丁目が成立。その後1987年(昭和62年)の住居表示実施により、夏見台2 - 6丁目が成立した。住居表示未実施の一部地区は、夏見町2丁目として残存している。 #日本武尊(やまとたけるのみこと)が東夷征伐の折、当地で神鏡の輝く船を見たのが夏であった #景行天皇が当地方に行幸した時、菜摘みをしていた里人に地名を尋ねたが都の言葉が分からず「なつみ」と答えた #夏見の南方前面が海の時代、「南津海」といったのが縮まった #夏見の前面が海の時代、磯菜を摘み神に捧げた #「肴つ霊」(魚や野菜等の副食物の神)から #古代に伊賀国夏見郷(現在の三重県名張市にある)から移住した人々が開いた #古語で泥のことを「ナヅミ」と言い、泥地・湿地を意味する #ナヅ(撫)・ミの転で「崩壊地形・浸食地形」を意味する などといった由来がある。1~3はあくまでも話である。4・5は可能性があるが決め手にかける。6は遺物の様式の類似等が考古学的に証明されるまで仮説。最も有力なのは7・8のいずれか。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「夏見」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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