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夕雲型駆逐艦[ゆうぐもかたくちくかん]
夕雲型駆逐艦(ゆうぐもかたくちくかん)は、大日本帝国海軍の駆逐艦の艦級〔#内令昭和16年2月p.18『内令第百三十三號 艦艇類別等級別表中左ノ通改正ス|昭和十六年二月五日 海軍大臣及川古志郎|驅逐艦、一等陽炎型ノ項中「萩風」ノ下ニ「、舞風」ヲ加ヘ同項ノ次ニ左ノ一項ヲ加フ |夕雲型|夕雲| 潜水艦、一等伊九型ノ項中「伊號第十」ノ下ニ「、伊號第十一」ヲ加フ|駆潜艇第十三號型ノ項中「第十六號」ノ下ニ「、第十七號」ヲ加フ』〕。陽炎型駆逐艦の改良型で、書類上は陽炎型と同じ「甲型」(一等駆逐艦)に類別される。 ==概要== 海軍は1939年(昭和14年)に第四次軍備充実計画(通称マル4計画)を策定した。その中で陽炎型4隻の追加を決めたが、陽炎型の速力35ノットは満足のいくものではなかったため、その点などを改良した甲型駆逐艦11隻の量産を決定する。改良により別の型となったため、これを「夕雲型」とした。 当初1941年(昭和16年)に計画された第五次海軍軍備充実計画(通称マル5計画)では、夕雲型に続く次世代型の甲型駆逐艦として島風型駆逐艦16隻を建造する予定であった。しかし、対米開戦の軍戦備が急速に必要だったことから、同年に策定された戦時急増計画(通称マル急計画)では夕雲型16隻が追加で計画された。更に太平洋戦争が開戦して戦局が変化し、1942年(昭和17年)にマル5計画を改定して策定された改マル5計画では、島風型ではなく夕雲型が8隻追加で計画されることとなった。だが、戦局の悪化に伴いマル急計画分の内8隻(第348号艦~第355号艦)と改マル5計画分は建造中止となっている〔『日本の駆逐艦オール大百科』p94,98〕。 甲型駆逐艦である夕雲型は1943年以降起工されず、代わりに乙型駆逐艦に当たる秋月型駆逐艦と丁型駆逐艦に当たる松型駆逐艦が優先して建造された。大戦末期、軍令部や艦政本部内の新しい甲型駆逐艦案として、「速力33ノット、主砲を高角砲とし、8射線以上の雷装を持ち、急速建造に適する艦型」が浮上した。だが、私案の域を出ず計画を具体化すること無く終わったという〔『海軍造船技術概要 上』p427〕。 最終的に夕雲型はマル4計画分の11隻とマル急計画分の内8隻(第340号艦~第347号艦)に当たる19隻が建造された。しかし、前線の損耗補充として訓練もままならないまま実戦投入された艦が多く、坊ノ岬沖海戦に参加した朝霜を最後に全て戦没している。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「夕雲型駆逐艦」の詳細全文を読む
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