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多々見良三 : ウィキペディア日本語版
多々見良三[たたみ りょうぞう]

多々見 良三(たたみ りょうぞう、1950年(昭和25年)8月26日 - )は、日本医師政治家京都府舞鶴市長金沢大学大学院医学研究科博士課程修了。医学博士。石川県河北郡高松町(現・かほく市)出身。
==経歴==
金沢大学医学部を卒業後、第二内科に入局し、脂質代謝の研究を行い、1982年舞鶴共済病院に内科医員として赴任した。以後、舞鶴共済病院で地域医療を支え、専門領域である循環器科心カテーテル術で京都府下1位、近畿地区でも5位の手術を手掛けた。
2003年市立舞鶴市民病院で医師大量退職が起こると、舞鶴地区の地域医療に全力を尽くし、2005年には同じく循環器医師で金沢大学卒の石瀬昌三から病院長を引継ぎ就任。舞鶴市民病院再建を図る委員会の委員にも就任した。しかし、舞鶴市長に齋藤彰が就任すると、同じく舞鶴市内にある国立舞鶴医療センター舞鶴赤十字病院舞鶴市民病院、舞鶴共済病院が4総合病院を統合し、1つの基幹病院に再編する案が浮上。これに強く反発した多々見は委員を辞し、舞鶴共済病院も再編案から離脱した。
2010年12月、翌年2月に予定されている舞鶴市長選に出馬を表明、舞鶴共済病院を退職し出馬。2011年2月6日に行われた舞鶴市長選において現職の齋藤彰を大差で破り第20代舞鶴市長に就任した。
2015年2月に舞鶴市長選に立候補し、初めて自由民主党民主党の推薦を受け、共産党推薦候補を大差で破り再選を果たした。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「多々見良三」の詳細全文を読む



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