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多邇具久[たにぐく]
多邇具久(たにぐく)は、日本神話に登場する神である〔吉田, p.72-74.〕〔日本神話の神々 、日本大百科全書、コトバンク、2015年2月11日閲覧。〕〔''たにぐく''、國學院大學、2015年2月11日閲覧。〕。谷蟆、谷蟇の字を当ててヒキガエルを指す〔〔谷川, p.54-55.〕〔谷蟆・谷蟇 、大辞林 第三版、コトバンク、2015年2月11日閲覧。〕〔学歌 、京都産業大学、2015年2月11日閲覧。〕。 ==概要== 大国主の国づくりの説話において登場する〔〔〔〔。『古事記』における同段によると、大国主が出雲の御大岬(美保岬)にいたとき、海の向こうから小さな神がやって来たが、名を尋ねても答えず、誰もこの神の名を知らなかった〔〔。このとき、かかしの久延毘古なら知っているはずと注進したのが、ヒキガエルの多邇具久であった〔〔〔。はたして、久延毘古によって、その小さな神の名は「神産巣日神の子の少彦名神」であると知らされる〔〔。『日本書紀』の同エピソード部分には登場しないが、谷川健一によれば、和歌山県新宮市附近ではヒキガエルを「ゴトビキ」と呼び、神武天皇の東征神話に描かれる「天磐盾」(アメノイワタテ)が神倉神社の「ゴトビキ岩」であるという話を紹介している〔〔神倉神社・天磐盾(神倉山)神武天皇顕彰碑 、公益社団法人和歌山県観光連盟、2015年2月11日閲覧。〕。 谷蟆(ヒキガエル)は、地上のどこにでも生息しているため、「国土の隅々まで知り尽くした存在」であるとか「地上を這い回る支配者」と考えられていた〔。『万葉集』巻5の800番、山上憶良の長歌に「天雲の向伏極み 谷蟆のさ渡る極み」と謳われる〔〔''万葉集/第五巻''、ウィキソース、2015年2月11日閲覧。〕。天皇の支配領域を指し、天の雲の向こうの果てから地上はヒキガエルの歩いているようなところはすべて、という意味である〔。憶良の歌には、大国主が天孫降臨に先行しておこなった「国づくり」に関わる谷蟆(ヒキガエル)を引き合いに出すことで、天皇への地上の支配権の献上についてが念頭にあることが示されている〔。『万葉集』のこの箇所での表記は多尓具久である〔。この「天雲の向伏極み 谷蟆のさ渡る極み」のフレーズは京都産業大学の『学歌』(作詞荒木俊馬、作曲團伊玖磨)にも引用されている〔。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「多邇具久」の詳細全文を読む
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