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多文化教育[たぶんかきょういく] 多文化教育(たぶんかきょういく、英語:''Multicultural Education'')とは、あらゆる社会階級、人種、文化、ジェンダー集団出身の生徒たちが、平等な学習機会をもてるように学校や他の教育機関をつくり変えるための「教育改革運動」であり、同時に、すべての生徒がより民主的な価値観、信念、また文化を超えて機能するために必要な知識、スキル、態度を育てられるように支援するための「教育実践」である。共通する部分の少なくないグローバル教育が地球規模の視点からよりミクロな文化、そして自分自身を考えていくのに対して、自分自身から出発してよりマクロな文化、世界へと視点が移動するのが多文化教育である。日本において多文化教育という用語は、研究の世界では使用されることもあるが、実践の世界においては稀である。実践場面においては、それぞれ異なる概念であるグローバル教育、開発教育、平和教育、地球市民教育、国際教育、異文化間教育、市民性教育など、様々な教育運動、教育実践を織り交ぜたものを国際理解教育と呼ぶことが多い。 ==多文化教育とは== ここでは、ジェームズ・A・バンクス (''James A. Banks'')の定義(※1)に従い記述する。多文化教育の起源は、アメリカの公民権運動にある。アメリカの公民権運動は、尊厳、平等、自由といった西洋思想の理想によって導かれた。よって多文化教育がアメリカの非西洋的な人々にとって主導されてきたとしても、「多文化教育は西洋の産物である」(p.12)である。そのことからも分かるように、多文化教育が目指しているのは、西洋文化の駆逐などではなく、「社会の周辺に置かれた集団を西洋的制度や機関に完全に参加させ、またそれらを改革することによって、そのなかで実際に行われていることが民主主義の理想と一致するようにすること」(p.13)なのである。 多文化教育は分離主義的な性格など帯びていない。よって多文化教育にとって、アフリカ中心主義的なカリキュラムとは、西洋中心主義的なカリキュラムに対抗し、西洋文化を排除したカリキュラムを作成することなどではなく、既存のカリキュラムの中に「ヨーロッパ文明におけるアフリカの貢献が認められることを求めているにすぎない」(p.9)のである。加えて言えば、このアフリカ文化が西洋文化に寄与したことも事実ではあるが、同時にその「アフリカ系アメリカ人の文化は、アフリカの多様な文化的伝統とアメリカの先住民やヨーロッパ系エスニック集団の文化的伝統が入り混じりあうことによって生まれた」という事実も忘れてはならない。このように多文化教育における文化とは、真性たるものとして、純粋なものとして存在しているわけではなく、より相互依存的、相互作用的なものとして存在している。こういった前提に立ちながら、多文化教育は、一般的な日本の国際理解教育が目指している他者や外部集団の学習ではなく、「人びとが自分たちをよりよく見つめ、理解する機会を提供する」ものであり、そのような手順を経て、自己評価を高めていく学習者が他者とのつながりを深めていくことを目指しているのである。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「多文化教育」の詳細全文を読む
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