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多治比氏 : ウィキペディア日本語版
多治比氏[たじひうじ]

多治比氏(たじひうじ)は、「多治比」をの名とする氏族
宣化天皇の三世孫多治比古王を祖とする。丹治比氏・丹墀氏(たじひし)、多治氏・丹治氏(たじし)とも称した。河内国多比郡を根拠地とする。は公、真人
== 概要 ==
多治比古王の子697年(73歳)に臣下最高位の左大臣となるなど大臣職を長く務め、当時政界の「最長老」であった〔高島 (1969), p.11〕。嶋の子らからは第1子池守大納言、ほか県守廣成中納言となった。しかし757年橘奈良麻呂の乱犢養(こうしかい)や國人といった一族が加担して処罰されたうえ、藤原種継暗殺者として濱人が処刑された事もあり、平安時代以降官界では奮わなくなった。嶋の玄孫にあたる真宗は、桓武天皇との間に桓武平氏の祖とされる葛原親王を儲けた。
一方、武蔵国では丹治比氏の後裔を名乗る武士集団丹党が勢力を持つようになり、武蔵七党の一つとして力を振るった。大田原氏大関氏青木氏等が大名として江戸期まで存続した。


抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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