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多治比水守[たじひ の みずもり] 多治比 水守(たじひ の みずもり、生年不詳 - 和銅4年4月15日(711年5月7日))は、飛鳥時代から奈良時代にかけての貴族。左大臣・多治比島の子。子に土作がいる。官位は従四位下・宮内卿。 == 経歴 == 大宝2年(702年)尾張守を務めていた際に、文武天皇の行幸があり、封戸10戸を与えられた(このときの位階は従五位下)〔『続日本紀』大宝2年11月13日条〕。その後も尾張守(再任)・河内守・近江守と地方官を歴任し、和銅2年(709年)には従四位下に至っている。また、同年9月に藤原房前による東海・東山道の行政監察が行われた際、国司としての統治の功績を賞されて田10町・穀200斛・衣1襲を与えられている〔『続日本紀』和銅2年9月26日条〕。 和銅3年(710年)宮内卿に任じられ京官に遷るが、翌和銅4年(711年)4月15日卒去。最終官位は宮内卿従四位下。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「多治比水守」の詳細全文を読む
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