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多治比池守[たじひ の いけもり]
多治比 池守(たじひ の いけもり)は、奈良時代の公卿。左大臣・多治比嶋の長男〔『公卿補任』〕。官位は従二位・大納言。 == 経歴 == 持統天皇7年(693年)直広肆(従五位下に相当)に叙せられる〔『日本書紀』持統天皇7年6月4日条〕。和銅元年(708年)平城京への遷都の詔が出ると、従四位下・民部卿〔『続日本紀』和銅元年3月13日条〕、次いで阿倍宿奈麻呂とともに造平城京司長官に任ぜられ平城宮の造営を担当する〔『続日本紀』和銅元年9月30日条〕。和銅6年(713年)正四位下〔『続日本紀』和銅6年4月23日条〕、和銅7年(714年)従三位〔『続日本紀』和銅7年正月5日条〕と元明朝末にかけて昇進を果たした。 和銅8年(715年)大宰帥に任ぜられると〔『続日本紀』和銅8年5月22日条〕、霊亀3年(717年)には地方官としての善政を賞されて綾10疋・絹20疋・絁30疋・綿300屯・布100端を与えられた〔『続日本紀』霊亀3年2月10日条〕。その後養老2年(718年)中納言〔『続日本紀』養老2年3月10日条〕、養老5年(721年)大納言〔『続日本紀』養老5年正月5日条〕、養老7年(723年)正三位〔『続日本紀』養老7年正月10日条〕と元正朝でも順調に昇進し、長屋王政権下において左大臣・長屋王に次ぐ地位を占めた。 神亀4年(727年)正月に従二位に昇進し〔『続日本紀』神亀4年正月27日条〕、同年11月には百官を率いて聖武天皇の皇太子・阿倍内親王(のち孝謙天皇)に拝謁した〔『続日本紀』神亀4年11月14日条〕。神亀6年(729年)長屋王の変が発生した際には長屋王邸に派遣されて王の窮問を担当している〔『続日本紀』神亀6年2月11日条〕。長屋王が失脚した後、太政官では知太政官事・舎人親王に次ぐ立場となるが、翌天平2年(730年)9月8日薨去。最終官位は従二位大納言〔『続日本紀』天平2年9月8日条〕。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「多治比池守」の詳細全文を読む
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