翻訳と辞書
Words near each other
・ 多治比広足
・ 多治比廣成
・ 多治比氏
・ 多治比水守
・ 多治比池守
・ 多治比浜成
・ 多治比犢養
・ 多治比猿掛城
・ 多治比県守
・ 多治比縣守
多治比長野
・ 多治比門
・ 多治氏
・ 多治神社
・ 多治経明
・ 多治見
・ 多治見IC
・ 多治見インターチェンジ
・ 多治見インターモール
・ 多治見テレビ中継局


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

多治比長野 : ウィキペディア日本語版
多治比長野[たじひ の ながの]
多治比 長野(たじひ の ながの、慶雲3年〔『公卿補任』〕(706年) - 延暦8年12月22日790年1月11日))は、奈良時代公卿。名は永野とも記される。大納言多治比池守の孫。鋳銭長官多治比家主の子。官位従三位参議
== 経歴 ==
天平神護元年(765年従五位下叙爵刑部大判事造東大寺長官大和介を経て、神護景雲3年(769年)従五位上に叙せられる。光仁朝では、宝亀2年(771年正五位下、宝亀7年(776年)正五位上、宝亀9年(778年従四位下と順調に昇進する一方、三河守出雲守摂津大夫と主に地方官を歴任した。
桓武朝でも、延暦3年(784年)従四位上、延暦4年(785年正四位上と引き続き順調に昇進を続けながら、伊勢守近江守といった地方官や、刑部卿を歴任する。延暦6年(787年従三位に叙せられて公卿に列し、延暦8年(789年)正月に参議に任ぜられたが、同年12月22日薨去享年84。最終官位は参議兵部卿従三位。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「多治比長野」の詳細全文を読む



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.