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多湖實夫[たご じつお] 多湖 實夫(たご じつお〔、1898年(明治31年)6月16日〔『新編日本の歴代知事』508頁。〕 - 1985年(昭和60年)5月11日〔『ジャパン WHO was WHO 物故者事典 1983-1987』376-377頁。〕)は、日本の内務官僚、実業家。官選山梨県知事、学校法人愛知医科大学理事長、ワシントンホテル社長。 ==経歴== 三重県員弁郡笠田村(現いなべ市)出身〔。多湖實の長男として生まれる〔。愛知県立第一中学校、第八高等学校を卒業〔。1922年、東京帝国大学法学部法律学科を卒業。同年11月、文官高等試験行政科試験に合格。内務省に入省し東京府属となる〔〔『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』236頁。〕。 以後、内務省社会局勤務、奈良県理事官、内務省社会局事務官・保険部勤務、静岡県書記官・経済部長、第16回国際労働会議出席(1932年ジュネーヴ開催、政府側顧問)、東京府学務部長、宮城県書記官・総務部長〔『官報』第3977号、昭和15年4月11日。〕、大阪府総務部長などを歴任〔。 1942年(昭和17年)7月7日、山梨県知事に就任。学童疎開の受け入れ、戦時下の対応などに尽力。1945年(昭和20年)4月21日に知事を退任〔。同年に退官し、戦後、公職追放となった〔。 戦後は、名古屋国際ホテル社長、ワシントンホテル社長、学校法人愛知医科大学理事長などを務めた〔。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「多湖實夫」の詳細全文を読む
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