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多田富雄 : ウィキペディア日本語版
多田富雄[ただ とみお]
多田 富雄(ただ とみお、1934年3月31日 - 2010年4月21日)は、日本免疫学者、文筆家である。東京大学名誉教授。妻の多田式江は医師。大叔父に詩人多田不二がいる。
==来歴・人物==
茨城県結城市出身。旧制茨城県立水海道中学校(現・茨城県立水海道第一高等学校)・茨城県立結城第二高等学校を経て、千葉大学医学部進学、在学中に安藤元雄江藤淳らとともに同人雑誌『purete』に詩などを寄稿。千葉大学医学部第二病理学教室に勤務、1964年医学博士(千葉大学、題は「遷延感作ウサギにおける抗体産生の変貌」 。のち教授、1977年東京大学医学部教授、1995年定年退官、東京理科大学生命科学研究所所長。。1971年抑制(サプレッサー)T細胞を発見するなど免疫学者として優れた業績を残す(現在ではサプレッサーT細胞の存在には疑問符がつけられている)。野口英世記念医学賞、朝日賞1981年)、文化功労者1984年)を受賞〔。瑞宝重光章2009年)。
50代になって執筆活動を多く行い始め、『免疫の意味論』(青土社1993年)で大佛次郎賞〔、『独酌余滴』(朝日新聞社1999年)で日本エッセイスト・クラブ賞、『寡黙なる巨人』(集英社2007年)で小林秀雄賞を受賞。
の作者としても知られ、自ら小鼓を打つこともあった〔。謡曲作品に脳死の人を主題にした『無明の井』、朝鮮半島から強制連行された人を主題とした『望恨歌』、アインシュタインの相対性理論を主題とした『一石仙人』、広島の被爆を主題とした『原爆忌』がある。
2001年5月2日、滞在先の金沢にて脳梗塞を起こし、一命は取り留めたが声を失い、右半身不随となる。だが執筆意欲は衰えず、著作活動を続けた〔。晩年まで文京区湯島に在住した。
2006年4月から厚生労働省が導入した「リハビリ日数期限」制度につき自らの境遇もふまえて「リハビリ患者を見捨てて寝たきりにする制度であり、平和な社会の否定である」と激しく批判し、反対運動を行った。2007年12月には『わたしのリハビリ闘争 最弱者の生存権は守られたか』(青土社)を刊行した。
2007年には親しい多くの知識人とともに「自然科学とリベラル・アーツを統合する会」を設立し、自ら代表を務めた。
2010年4月21日、前立腺癌による癌性胸膜炎のため死去〔。。関連著作が、没する前後にはいくつか出版された。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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