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多田満長[ただ みつなが]
多田 満長(ただ みつなが、1886年(明治19年)4月14日〔『帝国人事大鑑』〕 – 1951年(昭和26年)2月9日〔『政治家人名事典』〕)は、衆議院議員(立憲民政党)、ジャーナリスト。 == 経歴 == 千葉県君津郡神納村(現在の袖ケ浦市)出身。多田子之助の二男として生まれ〔『人事興信録』〕、兄の昌太郎は君津郡会議員・神納村長を務めた〔『千葉県十傑列伝』p.18-20〕。千葉師範学校に入学するが、病のため退学した〔。その後明治学院を経て、1911年(明治44年)に早稲田大学政治経済科を卒業した〔。卒業後は大日本通信社を創設し、社長を務めた。 1930年(昭和5年)、第17回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。5回連続当選を果たした。その間、廣田内閣で逓信参与官を、阿部内閣で外務政務次官を務めた。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「多田満長」の詳細全文を読む
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