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多 自然麿(おお の じねんまろ / しぜまろ / じぜまろ、生年不詳 - 仁和2年9月16日(886年10月16日))は、平安時代初期の雅楽家。姓は臣のち宿禰。多藤野麻呂の子。官位は外従五位下・甲斐守。 == 出自 == 神武天皇の子の神八井耳命の後裔と伝える多氏の家系。太安万侶や多入鹿〔『多氏系図』(『続群書類従』巻第165所収)や『多氏系図』(『系図綜覧』所収)など〕を自然麿の祖先に充てる系図もあるが、太安万侶・入鹿とも朝臣姓であったことから、臣姓である自然麿がその直系の子孫であることは考えにくい〔近藤敏喬『宮廷公家系図集覧』東京堂出版、1994年 による)〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「多自然麿」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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