翻訳と辞書
Words near each other
・ 多賀城町
・ 多賀城碑
・ 多賀城神社
・ 多賀城跡
・ 多賀城跡あやめまつり
・ 多賀城駅
・ 多賀城駐屯地
・ 多賀城高架橋
・ 多賀城高校
・ 多賀城高等学校
多賀大社
・ 多賀大社前駅
・ 多賀宗直
・ 多賀宮
・ 多賀小学校
・ 多賀山地
・ 多賀山氏
・ 多賀工業専門学校
・ 多賀工業専門学校 (旧制)
・ 多賀常則


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

多賀大社 : ウィキペディア日本語版
多賀大社[たがたいしゃ]

多賀大社(たがたいしゃ)は、滋賀県犬上郡多賀町多賀にある神社である。
伊邪那岐命(イザナギ)伊邪那美命(イザナミ)の2を祀り、古くから「お多賀さん」として親しまれた。
また、神仏習合中世期には「多賀大明神」として信仰を集めた。
式内社で、旧社格官幣大社。現在は神社本庁別表神社である。
当社にはお守りとしてしゃもじを授ける「お多賀杓子(おたがじゃくし)」という慣わしがあるが、これは「お玉杓子」や「オタマジャクシ」の名の由来とされている。
== 歴史 ==

=== 由緒 ===

和銅5年(西暦712年)編纂の『古事記』の写本のうち真福寺本には「故其伊耶那岐大神者坐淡海多賀也。」「伊邪那岐大神は淡海の多賀に坐すなり」(いざなぎのおおかみは あふみのたがに ましますなり)との記述があり、これが当社の記録だとする説がある。ただし『日本書紀』には「構幽宮於淡路之洲」、すなわち「幽宮(かくれみや)を淡路の洲(くに)に構(つく)りて」とあり、国産み・神産みを終えた伊弉諾尊が、最初に生んだ淡路島の地に幽宮(かくりみや、終焉の御住居)を構えたとあり、『古事記』真福寺本の「淡海」は「淡路」の誤写である可能性が高い〔 多賀大社の祭神は南北朝時代の頃までは伊弉諾尊ではなかったことが判明しており『古事記』の記述と多賀大社を結びつけることはできない。『古事記』では「近江」は「近淡海」とするのが常で、同じ『古事記』でも真福寺本以外の多くの写本が「故其伊耶那岐大神者坐淡路多賀也。」になっており、その他の諸々の理由からも、学界でも「淡海」でなく「淡路」を支持する説が有力である(武田祐吉、直木孝二郎等)。なお、『日本書紀』では一貫して「淡路」と記され、「近江」に該当する名はない。〕。
『古事記』以前の時代には、一帯を支配した豪族・犬上君の祖神を祀ったとの説がある。
犬上君(犬上氏)は、多賀社がある「犬上郡」の名祖であり、第5次遣隋使・第1次遣唐使で知られる犬上御田鍬を輩出している。
藤原忠平らによって延長5年(927年)に編まれた『延喜式神名帳』では、当社は「近江国犬上郡 多何神社二座」と記載され、小社に列した。
「二座」とあるため、この時代にはすでに伊邪那岐命・伊邪那美命2柱が祀られていたと分かる。
なお、摂社(境内社)で延喜式内社の日向神社は瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)を、同じ摂社の山田神社は猿田彦大神を祀る。多賀胡宮とも呼ばれる別宮の胡宮(このみや)神社は、伊邪那岐命・伊邪那美命・事勝国勝長狭(コトカツ クニカツ ナガサノミコト)の3柱を祀り、多賀社の南方2kmの小高い丘(神体山)に鎮座する。授子・授産、鎮火の神として崇敬される。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「多賀大社」の詳細全文を読む



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.