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多賀谷政広 : ウィキペディア日本語版
多賀谷政広[たがや まさひろ]
多賀谷 政広(たがや まさひろ、生没年不詳)は、結城氏の家臣。多賀谷為広の子。多賀谷政経は従兄弟に当たる(政経の子に多賀谷重経)。安芸守を称す。
多賀谷氏が結城氏に帰属するとき、その人質として差し出され、そのまま結城氏の家臣となった。結城晴朝の時代には、主に宇都宮氏佐竹氏後北条氏などに対する外交の使者として活躍し、弘治2年(1556年)に下都賀郡内に知行を受け、天正14年(1586年)には常陸小栗城の在番も務めた。
1590年小田原征伐豊臣秀吉に謁見し、結城秀康の結城氏入嗣をまとめた。この際、秀康から2050石の知行を受けている。
政広の後を継いだ村広土浦城の城代を務め、越前藩に移封後も活躍したという。
== 参考書籍 ==

*戦国時代人物事典 学習研究社(2009年) ISBN 4054042902

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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