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多賀谷真稔 : ウィキペディア日本語版
多賀谷真稔[たがや しんねん]

多賀谷 真稔(たがや しんねん、多賀谷眞稔、1920年1月5日 - 1995年4月9日)は、日本政治家日本社会党の元書記長広島県呉市出身。正三位勲一等旭日大綬章
== 略歴 ==

*1943年早稲田大学法学部卒。日鉄鉱業入社、炭鉱福岡地方本部法規対策部長などを務める。
*1952年左派社会党から代議士初当選。
*1955年社会党再統一に伴い日本社会党に所属する。
*1965年佐々木更三委員長の下で政策審議会長に就任し勝間田清一委員長の下で政審会長に留任。
*1969年、初の落選。
*1970年成田知巳委員長の下で政審会長を退任。
*1977年12月、飛鳥田一雄委員長の下で書記長に就任。
*1980年6月、衆参同日選で民放テレビ出演中に地元・福岡2区で落選を知らされ選挙戦を終えた。
*1982年2月、書記長を退任。
*1983年、衆院選で議員に返り咲き。
*1986年、衆参同日選後の特別国会で衆院副議長に就任する。
*1989年6月、予算案強行採決を巡る混乱の責任を取って副議長辞任。
*1990年2月、総選挙を前に政界引退。



抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「多賀谷真稔」の詳細全文を読む



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