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多賀郷[たがごう] 多賀郷(たがごう、たがのごう)は、日本の陸奥国宮城郡にあった郷で、現在の宮城県多賀城市を中心とする。離れた二つの時代にあり、奈良時代から平安時代の多賀郷は、宮城郡を構成する10郷の一つ。戦国時代の多賀郷は、当時の小大名留守氏の支配域にかかる宮城郡北東部を指し、またそのうち中心的な町であった洞ノ口(現在の仙台市宮城野区岩切洞ノ口)をも指した。 == 奈良時代・平安時代の郷 == 『倭名類聚抄』が宮城郡の郷を列挙する中に見える〔『和名類聚抄郡郷里驛名考證』478頁。〕。多賀郷は多賀城と同じ地名を持つが、この由来には二説ある。一つは、常陸国の多珂郡(後に多賀郡)に由来し、その地からの移民が中心になって作った郷だとするもの〔『仙台市史』通史編2(古代中世)88頁。〕。多賀城の城外の町からは「多珂」と書かれた木簡が出土ている。もう一つは、多賀(たが)と多珂(たか)は異なる地名で、多賀はめでたい意味で付けられた瑞祥地名だとする説である〔平川南『東北「海道」の古代史』。〕。 一時的だが、陸奥国には郡司を欠く権郡(臨時の郡)として多賀郡が置かれ、延暦4年(785年)4月7日に正規の郡になった〔『続日本紀』延暦4年(785年)4月辛未条。〕。存続期間は不明だが、その間多賀郷は多賀郡に属したと考えられる〔新日本古典文学大系『続日本紀』2、323頁注23。『仙台市史』通史編2(古代中世)113頁。〕。
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