|
夜這い(よばい)とは、夜中に性交を目的に他人の寝ている場所を訪れる日本の風習。 == 概要 == 語源は、男性が女性に呼びかけ、求婚すること(呼ばう)であると言われる。 古くは、759年に成立した『万葉集』巻12に「他国に よばひに行きて 大刀が緒も いまだ解かねば さ夜そ明けにける」と歌われており〔 〕 、大正時代まで〔『週刊ポスト』 2011年4月29日号 p.13.〕農漁村中心に各地で〔「日本で」一般的に行われていたという見方(『週刊ポスト』 2011年4月29日号 p.14.)と、房総以西の太平洋側の地域、伊豆、知多半島、渥美半島、瀬戸内、九州などでより盛んに行われていた習俗であるという説(『週刊ポスト』 2011年4月29日号 p.161, pp.161-163. 八木透によれば、地域差や県民性があるという)がある。〕行われていた習俗〔『週刊ポスト』 2011年4月29日号 p14. 柳田國男によれば「正常な求婚手段ないし婚姻生活を表す代表的な婚姻語」で、飯島吉晴によれば「男女が自主的にパートナーを選ぶことができる、自由恋愛のためのシステム」。〕。戦後、高度成長期直前まで、各地の農漁村に残っているところがあった〔『夜這いの民俗学・夜這いの性愛論』 p.320(上野千鶴子による解説 pp.315 - 326)または赤松(1994) pp.37-42〕。明治維新の近代化や農漁村への電灯の普及などにより明治以降は衰退する傾向にあった。このため、明治、大正の頃まで盛んだったのは、山深い山間部の村落中心であった。 多くの場合男性が女性のもとへ通うものだが、女性が通う風習を持つ地域もあった〔『週刊ポスト』 2011年4月29日号 p.162. たとえば現在の愛知県や熊本県、相模や信州、丹後にあった。〕。 。 古代日本の夫婦関係は妻問い婚であり、男女はそれぞれに住んでいて妻の元へ夫が通ってゆく形態であった。結婚というのは、家族に隠れてこっそりと夜這いを行うのではなく、堂々と通えるようになることを意味した。そもそも各地の共同体(ムラ)においては一夫一婦制と言う概念も希薄で、重婚、夜這いは当たり前であった〔赤松 (1994) p.35〕。 かつての農村では、「村の娘と後家は若衆のもの」という村落内の娘の共有意識を示す言葉が聞かれることがあった。近代化以前の農村には若者組があり、村落内における婚姻の規制や承認を行い、夜這いに関しても一定のルールを設けていた。ルールには未通女や人妻の取り扱いなどがあり、この辺りの細かい点は地域によって差がみられた。下川 耿史によれば、夜這いが盛んになったのは南北朝時代から鎌倉時代にかけての中世であり、村落共同体の若者組は、風流と呼ばれる華やかな祭りのリーダーだったという〔 〕。 江戸など都市部では、村落と違う形に発達していった。これが、夜這いの衰退に繋がったと考えられる〔『週刊ポスト』 2011年4月29日号 p.15.〕とする見方がある。1876年(明治9年)、現在の新潟県(相川県)で、夜這いを禁止する法律ができた〔『週刊ポスト』 2011年4月29日号 p.15.〕。1938年(昭和13年)に起きた津山事件について、大阪毎日新聞が「山奥にいまなお残されている非常にルーズな男女関係の因習」〔『週刊ポスト』 2011年4月29日号 p165.〕と報じ、サンデー毎日が「娯楽に恵まれない山村特有の『男女関係』」〔『週刊ポスト』 2011年4月29日号 p165.〕と報じるなど、夜這いは否定的に見られるようになっていった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「夜這い」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|