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『夜長姫と耳男』(よながひめとみみお)は、坂口安吾の短編小説〔書籍にして約50-60頁の長さの物語である。講談社文芸文庫(1997年)、岩波文庫(2009年)でそれぞれ53、57頁。〕。飛騨の匠の弟子である耳男と、無邪気さと残酷さを併せ持つ長者の娘・夜長姫を中心として説話風に語られており、同じく説話風に書かれた『桜の森の満開の下』と並ぶ傑作として評価されている〔。作品執筆の背景には、随筆「飛騨・高山の抹殺―安吾の新日本地理・中部の巻―」(『安吾新日本地理』の一篇)などに描かれた、安吾の古代史とこの地方への興味・関心がある。また批評・研究においては、しばしば安吾の芸術観、芸術観や恋愛観が色濃く反映された作品と見なされている。 1952年(昭和27年)、雑誌『新潮』6月号(第9巻第6号)の「小説」欄にて発表され、翌1953年(昭和28年)12月10日に単行本刊行された。同書には、他6編が収録されている。 == あらすじ == 兔のように長い耳を持つ20歳の青年、耳男は、飛騨随一と言われる匠の弟子である。彼はあるとき、すでに死期が近い師匠に推薦され、使者アナマロに導かれて、師匠の代わりに夜長の里の長者のもとへ赴く。長者の用件は名人として名高い3人の匠に腕を競わせ、まだ13歳の姫(夜長姫)のための護身仏を彫らせることにあった。しかし長者と姫に引き合わされた彼は、姫にその大きな耳と馬のような顔を馬鹿にされて逆上し、仏像の代わりに恐ろしい化け物の像を彫る決意をする。 他の名人青笠(アオガサ)と、古釜(フルガマ)の代理で来た小釜(チイサガマ)が揃うと酒の席が設けられ、彼らは機織りの奴隷娘、江奈古(エナコ)に引き合わされる。長者は3人のうちの勝者に江奈古を与えると宣言するが、江奈古は耳男の容貌を馬鹿にし、耳男も彼女の里を馬鹿にする言葉を返すと、江奈古は不意に近づいて耳男の左耳を切り落とす。数日後、長者は客人に対する非礼への詫びとして、耳男自身の手で江奈古を殺させようとするが、従わず耳男は江奈古の縛めを解いてやる。そして「虫ケラに耳を噛まれただけだ」と言い捨てるが、それを聞きとめた夜長姫は、江奈古に耳男のもう一方の耳を切り取らせ、その光景を無邪気な笑顔で見守る。 耳男は長者の蔵の裏に小屋を建て、3年の間馬の顔の化け物を彫ることに専心する。そして絶えず姫の笑顔を思い浮かべ、それに対して心がひるむと蛇を取ってその生き血を吸い、残りの血は作りかけの像に滴らせ、死骸は小屋の天井から吊るした。3年後、像を完成させた耳男は、小屋を訪れた夜長姫から、耳男の彫った像を「ほかのものの百層倍、千層倍も」気に入ったと告げられる。姫は天井から吊るされた蛇の光景に感嘆するが、直後に侍女に小屋を焼き払わせ、耳男に服を着替えてくるように命じる。姫に殺されるのではないかと感じた耳男は、姫の笑顔を像として刻ませて欲しいと申し出る。長者と夜長姫はそれを承諾すると同時に、江奈古が耳男の耳を切った懐剣を使って自殺したこと、そして耳男が着替えた服が江奈古の服を仕立て直したものであることを教えられる。 耳男は姫の笑顔を刻んだ弥勒像の制作に取り掛かるが、その間、村に疱瘡が流行しはじめて多数の死者が出る。姫は「他に取り得もなさそうなバケモノだから」と言って耳男の化け物像を門前に据えさせ、一方で「今日も人が死んだ」とうれしそうにふれてまわる。やがて疱瘡の流行が止み、長者の邸からの死者は少なかったために、化け物像が村で信仰の対象になる。姫は像に供えられた食べ物を耳男のもとに届けながら、「バケモノ」が本当に「ホーソー神」を睨み返していたのを見たのだと言い、そして耳男がいま彫っている弥勒像には「お爺さんやお婆さんの頭痛をやわらげる力もない」と告げる。 ほどなく別の病が流行し、また多くの死者が出はじめる。夜長姫は耳男のもとを訪れて、耳男が以前やっていたように蛇をたくさん捕まえて来るように命じる。姫は耳男とともに楼に上り、そこで耳男を真似て蛇の生き血をすすり、また耳男に蛇の血をばら撒かせ、死骸を楼の天井に吊るさせる。耳男は姫が村人たちの死を願って蛇を吊るさせているのだと気づくが、翌日も姫の命令の通りに大量の蛇を獲ってくる。しかし、死ぬ人をみんな見ている太陽がうらやましい、という姫の言葉を聞いた耳男は、姫を殺さない限りこの「チャチな人間世界」はもたないと考え、意を決して姫を抱きすくめその胸に鑿を打ち込む。姫は笑顔のまま、 と言い遺して死に、耳男は姫を抱きかかえたまま気を失う。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「夜長姫と耳男」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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