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夜間外出禁止令(やかんがいしゅつきんしれい)とは、一般市民に対して夜間の不要不急の外出を規制する行政措置。 「夜間」の定義はいくつかあり、一般には日の入りから翌日の日の出まで。23時から5時までのこともあるが、こちらは特に「深夜」とも呼ばれる。 治安上、軍事上の理由で行われることがあり、古くは、唐の首都・長安で実施されていた。 現在でも、中南米の政情不安定な国々では、散発的に夜間外出禁止令が発令され、飛行機の到着が遅れた日本人旅行者が巻き込まれることもある。また、1994年のノースリッジ地震の例のように大きな自然災害が起こった際に発出されることもある。 == 韓国 == 大韓民国では、独立前の連合軍軍政期の1945年9月7日、アメリカ軍がソウル市と仁川地域に夜間通行禁止令を出した〔今日の歴史(9月7日) 聯合ニュース 2009/09/07〕。その後、1950年6月に朝鮮戦争が勃発した直後の7月8日に全国に拡大された。0時から4時までは医師以外の民間人の外出が出来なくなるため、ソウルの繁華街では夜11時を過ぎると、帰宅を急ぐサラリーマンによるタクシーの争奪戦が起きた。 夜間通行禁止令(通禁)は36年4ヶ月もの長期間にわたり継続されたが、1964年1月に済州道、65年3月に内陸地域の忠清北道で通禁が解除。66年5月には観光地である慶州や東莱、海雲台、儒城で通禁が解除されている。また、生活品運搬や輸出産業など生産流通に必要な輸送手段に対しては、1966年3月に通禁が解除〔。東亜日報1982年1月4日付10面〕された他、釈迦誕生日やクリスマス、大晦日も通禁が解除された。 1982年1月5日、当時の韓国大統領である全斗煥が、軍事境界線に接する地域と海岸地域の52郡292邑面を除いて、夜間通行禁止令を解除した〔.東亜日報1982年1月4日付1面〕。残る地域でも、全面解除されたのは全斗煥政権最末期の1988年1月1日である〔환영-비판 엇갈린 「自律化」(歓迎-批判入り交じった「自律化」) 。東亜日報1988年2月9日付3面〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「夜間外出禁止令」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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