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『夜鳴き弁天』は、1992年10月5日から1993年3月15日までフジテレビで放送されたお笑い番組である。放送時間は毎週月曜 25:10 - 25:40(JST)。 == 概要 == 『北野ファンクラブ』等の仕掛け人・高田文夫が司会を務めた深夜番組で、前番組『たまにはキンゴロー』とほぼ同じ出演者達が個々で自分のコーナーを企画構成していた。 主な出演者は、当時“関東高田組”と呼ばれていたメンバーの浅草キッド、立川ボーイズ(立川談春・立川志らく)、春風亭昇太、大川興業(男同志のコンタキンテ・江頭2:50など)らを起用した。彼ら若手芸人のみならずアナウンサーの福井謙二も出演していた。 初回収録はフジテレビスタジオにセットを組みライブを開催し、第1回と第2回に放送された。第3回以降は基本的に美術セットは組まず、白背景のフジテレビのスタジオで後述のコーナーが制作された。ロケで福井アナが新宿のバッティングセンターで実況しながらバッティングする企画なども行った。また高田と松村が『風まかせ 新・諸国漫遊記』で訪れた山形県で偶然「弁天寿司」という店を発見したため、急遽当番組も収録することにもなった。 番組内で「夜鳴き弁天」というワードは謎にされていて、テロップに「謎が謎を呼ぶ夜鳴き弁天とは…」と要所で表示していた。エンディングテーマが流れる手前に「夜鳴き語録」と表して、高田が発言した言葉を毎週振り返りで紹介。内容は「私は日に2回は行ってますよ」「なぎら健壱が集めてるらしい」など意味があるのかないのか分からないワードばかりであった。 オープニング曲は一世風靡セピア(後のフジテレビ深夜の『A女E女』でも使われていた)。エンディングテーマはKAZZの『始発』。 当番組終了後は、ほぼ同じスタッフで次番組『ピロピロ』が制作された。 なお、当番組は番組終了とほぼ同時期にフジ系を脱退した山形テレビでも放送されていたが、当番組は山形テレビにおいて3月31日深夜に、実質的な当日最終番組、かつフジ系最終番組として放送された番組でもある。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「夜鳴き弁天」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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