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大リビア・アラブ社会主義人民ジャマーヒリーヤ国()は、かつて北アフリカのリビアに存在した共和制国家。首都をトリポリに置き、行政機関の一部をシルテに置いていた。1969年から1977年までのリビア・アラブ共和国も合わせて記述する。 アフリカ世界と地中海世界とアラブ世界の一員であり、アフリカ連合とアラブ連盟、アラブ・マグレブ連合にも加盟していた。 2011年2月17日、ベンガジを根拠地とする勢力リビア国民評議会との間で内戦が始まり(2011年リビア内戦)、2011年8月23日に首都トリポリが評議会軍の攻勢によって陥落したことで崩壊した。 == 国名 == 正式名称は、(ラテン文字転写 : アル=ジャマーヒーリーヤ・アル=アラビーヤ・アッ=リービーヤ・アッ=シャアビーヤ・アル=イシュティラーキーヤ・アル=ウズマー)。通称は、ليبيا(''Lībiyā'' リービヤー)。 公式の英語表記は、。 がついたのは1986年のことである。通称は、。 ジャマーヒリーヤとは最高指導者ムアンマル・アル=カッザーフィー(カダフィ大佐)による造語で、「大衆による共同体制」といったような意味を持つ。 日本語の表記では、。また、社会主義人民リビア・アラブ国と訳す場合もある。後者の名称は2004年まで用いられたが、CIA Factbook の名称変更に伴い、日本(外務省ウェブサイト等)でも正式国名として前者の名称が採用された(ただし、同じ外務省による表記であっても各種の条約・協定の和訳文中ではその後も後者の名称が用いられていた)。 * 1969年 - 1977年:リビア・アラブ共和国 * 1977年 - 2004年:社会主義人民リビア・アラブ国 * 2004年 - 2011年:''。また、社会主義人民リビア・アラブ国と訳す場合もある。後者の名称は2004年まで用いられたが、CIA Factbook の名称変更に伴い、日本(外務省ウェブサイト等)でも正式国名として前者の名称が採用された(ただし、同じ外務省による表記であっても各種の条約・協定の和訳文中ではその後も後者の名称が用いられていた)。 * 1969年 - 1977年:リビア・アラブ共和国 * 1977年 - 2004年:社会主義人民リビア・アラブ国 * 2004年 - 2011年: 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「大リビア・アラブ社会主義人民ジャマーヒリーヤ国」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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