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大中臣 継麻呂(おおなかとみ の つぐまろ、生没年不詳)は、奈良時代の貴族。右大臣・大中臣清麻呂の三男。母は不詳。官位は従五位上・但馬守。 == 経歴 == 神護景雲4年(770年)従五位下に叙爵し、翌宝亀2年(771年)に勅旨少輔に任ぜられる。光仁朝では摂津亮・備中守・山背守と主に地方官を歴任する。宝亀10年(779年)に従五位上に叙される。 桓武朝初頭は、天応元年(781年)衛門佐、天応2年(782年)右少弁次いで治部大輔と京官を務めるが、その後は延暦5年(786年)大和守、延暦7年(788年)但馬守と再び地方官を歴任している。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「大中臣継麻呂」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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