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大久保喬樹 : ウィキペディア日本語版
大久保喬樹[おおくぼ たかき]
大久保 喬樹(おおくぼ たかき、1946年9月12日 - )は、比較文学者。東京女子大学教授。
==来歴・人物==
茨城県生まれ。横浜で育つ。1969年、東京大学在学中に、『美術手帖』の創刊20周年記念懸賞評論に「ジャクソン・ポロック」で当選。1970年、東京大学教養学部フランス科卒業、同大学院比較文学比較文化専攻修士課程進学。『美術手帖』のほか、高階秀爾遠山一行江藤淳らが主宰した『季刊藝術』、『音楽藝術』の他に、文藝誌『文藝』、『』に次々に音楽、美術評論を書き、早熟新進の評論家として注目を集める。
1971年秋から、パリ第3大学比較文学専攻に留学、『季刊藝術』編集長の古山高麗雄に、留学記を書かせてくれと申し出で、翌年始めから「問うことと見出すこと」の題で連載を始める。『新潮』1972年6月号には、「パリで川端康成の死を聞く」を掲載し、パリ高等師範学校で修士号を取得して74年6月、帰国。連載は『パリの静かな時』として刊行され、江藤淳の賞賛を受けた。東大では修士号を取得せぬまま退学、江藤の下で東京工業大学助手を務めたのち、東京女子大学助教授を経て教授。文芸評論は次第に執筆しなくなったが、1989年に『岡倉天心』で第1回和辻哲郎文化賞受賞。
1976年12月、ヴァイオリニストの塩川悠子と結婚したが離婚した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「大久保喬樹」の詳細全文を読む



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