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大井 道夫(おおい みちお、1941年9月30日 - )は、日本の元アマチュア野球選手。高校野球指導者で、現日本文理高等学校(新潟)野球部監督。 == 経歴 == 栃木県出身。栃木県立宇都宮工業高等学校、早稲田大学第二商学部卒。 高校時代は宇都宮工の左腕エースとして1959年夏の甲子園に出場。決勝で西条(愛媛)のエース金子哲夫投手(阪神)と投げ合い、延長15回の死闘の末2-8で敗れ準優勝にとどまった。 卒業後は早大に進学。東京六大学リーグでは1年生の春季リーグからベンチ入りし、その後は外野手に転向して活躍。大学卒業後、社会人野球の丸井に入部。丸井時代の同僚に大杉勝男(元東映)がいた。しかし、入社半年でチームが解散したために丸井を退職、その後、家業の割烹料理店を継いだ〔夏の高校野球:50年越しの雪辱ならず…でも感無量 毎日新聞 2009年8月25日閲覧(Internet Archive)〕。だが野球への情熱は続き、母校宇都宮工のコーチなどを経て1986年に新潟の日本文理(当時は新潟文理高等学校)の監督に就任〔。無名だった同校を県内屈指の強豪に育て上げ、1997年夏に初めての全国大会への出場を勝ち取る。その後も2002年夏、2004年夏の全国大会に出場。 2006年春の選抜大会に出場し、初戦での高崎商(群馬)相手の勝利が同校の全国大会初勝利となるとともに、春の選抜で47都道府県中唯一未勝利だった新潟県勢の春の選抜大会初勝利でもあった。続く2回戦も北大津(滋賀)に勝利して準々決勝まで勝ち上がった。 夏の全国大会の初勝利は2009年夏。抜群の安定感を誇る好投手の伊藤直輝と全試合2桁安打の強力打線を武器に、一気に決勝まで進出する(新潟県勢としては春夏通じて初)。堂林翔太、磯村嘉孝擁する強打の中京大中京(愛知)に惜しくも9-10と敗れたが、6点差の9回2死無走者から1点差にまで詰め寄る驚異の粘りで、第91回夏の甲子園決勝戦を大きく盛り上げた。また、この試合においての「日本文理の夏はまだ終わらない!」という名実況はあまりにも有名である。 前中越監督の鈴木春祥、前新潟明訓監督の佐藤和也と共に新潟県の高校野球をリードしてきた一人。2006年秋の日本文理の北信越大会の優勝は、1978年春の中越以来の新潟県勢の北信越大会での優勝だった。その後新潟県勢は2007年の春に新潟明訓、2008年の秋に日本文理が北信越大会を制しており、レベルが確実に上がっていることを示している。 主な教え子には吉田篤史、本間忠、横山龍之介、高橋洸 (野球)などがいる。 宇都宮工時代にバッテリーを組んだ猪瀬成男は、宇都宮工監督時代に全国大会でも采配を振っており、過去に上三川町長を務めている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「大井道夫」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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