翻訳と辞書
Words near each other
・ 大休宗休
・ 大休正念
・ 大会
・ 大会社
・ 大会経
・ 大伝説の勇者の伝説
・ 大伝馬塩町
・ 大伝馬町
・ 大伯母
・ 大伯父
大伯皇女
・ 大伴三依
・ 大伴乙麻呂
・ 大伴今人
・ 大伴伯麻呂
・ 大伴健持
・ 大伴健日
・ 大伴兄麻呂
・ 大伴友国
・ 大伴古慈悲


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

大伯皇女 : ウィキペディア日本語版
大来皇女[おおくのひめみこ]
大来皇女(おおくのひめみこ、斉明天皇7年1月8日661年2月12日) - 大宝元年12月27日702年1月29日))は、飛鳥時代皇族天武天皇皇女大伯皇女とも書く。母は天智天皇皇女の大田皇女持統天皇の同母姉にあたる)で、同母弟に大津皇子がいる。伊勢斎宮
== 生涯 ==
斉明天皇7年(661年)に、筑紫に向かう途中の、天智天皇一行の乗った船が、大伯(おおく)の海の上(現岡山県瀬戸内市の沿岸。瀬戸内市はかつての邑久(おく)郡)を通過している時に誕生した。『日本書紀』に、天智天皇6年(667年)の2月27日に斉明天皇と間人皇女小市岡上陵に合葬し、大田皇女をこの陵の前の墓に埋葬したという記述があるので、2月27日以前には、大来皇女と大津皇子の母の大田皇女は薨去したと思われる。
大来皇女は天武天皇2年(673年)4月14日に父の天武天皇によって斎王制度確立後の初代斎王(斎宮)として泊瀬斎宮(在所不明)に入斎院(『神宮要綱』は同日卜定と伝える)、翌3年(674年)10月9日に伊勢国に下向した。翌年の天武天皇4年(675年)の2月13日には、十市皇女と阿陪皇女(後の元明天皇)が伊勢神宮に参詣した。朱鳥元年(686年)、4月27日、多紀皇女・山背姫王・石川夫人が伊勢神宮に遣わされた。同年の10月3日に、大津皇子が謀反人として死を賜った後、11月17日に退下し、都に帰った。大宝元年12月27日(702年1月)に薨去。
三重県名張市夏見廃寺(国の史跡)は、『薬師寺縁起』に見える大来皇女の発願により神亀2年(725年)に完成した昌福寺とされている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「大来皇女」の詳細全文を読む



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.