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大伴 子虫(おおとも の こむし、生没年不詳)は、奈良時代の官人。勤大弐・大伴子君の子とする系図がある〔鈴木真年『百家系図』巻59,大伴宿禰〕。官位は従八位下・左兵庫少属。 == 経歴 == 当初、子虫は長屋王に仕えてその厚遇を受けていたが、神亀6年(729年)に発生した長屋王の変にて、中臣宮処東人からの誣告を受け、長屋王は自殺させられた。 天平10年(738年)子虫が左兵庫少属を務めていた際に、たまたま隣にある右兵庫寮の長官(右兵庫頭)の任にあった中臣宮処東人と政務の合間に囲碁に興じていたが、話題が長屋王のことに及ぶにあたり、子虫は憤りを発して東人を罵り始め、遂には抜刀して斬殺してしまった。〔『続日本紀』天平10年7月10日条〕 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「大伴子虫」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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