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大伴手拍 : ウィキペディア日本語版
大伴手拍[おおとも の たうち]
大伴 手拍(おおとも の たうち〔新編日本古典文学全集『日本書紀』、新日本古典文学大系『続日本紀』、宇治谷孟・現代語訳『続日本紀』講談社学術文庫〕/てうち〔岩波文庫『日本書紀』〕/てがしわ〔「てがしは」 林陸朗訓訳『続日本紀』〕、生年不明 - 和銅6年9月17日713年10月10日))は、日本の飛鳥時代から奈良時代にかけての貴族である。姓(カバネ)は宿禰大伴氏の一族で、系譜は明らかでないが、一説では大伴堅泡の子とする〔宝賀寿男『古代氏族系譜集成』古代氏族研究会,1986年〕。子に三林がいる。従四位下造宮卿
==事績==
手拍が史料に初めて見えるのは、『日本書紀』の持統天皇3年6月癸未(2日)条で、この日、皇子施基佐味宿那麻呂羽田斉伊余部馬飼、調老人、大伴手拍、巨勢多益須が撰善言司に任じられている。このとき手拍の位は務大参従七位上に相当)で、この頃大伴氏の最高位は大伴御行であった。
文武天皇2年(698年)11月23日の大嘗のとき、物部氏の支族榎井倭麻呂が大楯を立て、大伴手拍がを立てた。古くからの軍事氏族である物部氏と大伴氏が大嘗宮の門の前で楯と鉾を立てるのは、大嘗祭の恒例であった。このとき手拍の位は直広肆(従五位下に相当)であった。
御行が大宝元年(701年)に死ぬと、大伴氏の最高位の人物はその弟安麻呂になり、手拍がそれに次いだ。慶雲2年(705年)5月9日、正五位下の手柏は尾張に任ぜられた。
和銅元年(708年)3月13日に正五位上で、平城京の造都を担う重職である造宮卿に任ぜられた。和銅2年(709年)正月、正五位上から従四位下に昇叙された。和銅6年(713年)9月17日に造宮卿、従四位下で死去。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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