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大伴榎本大国[おおとものえのもと の おおくに] 大伴榎本 大国(おおとものえのもと の おおくに〔旧仮名遣いでの読みは「おほとものえのもとのおほくに」〕、生没年不詳)は、日本の飛鳥時代の人物。姓は連。壬申の乱の功臣。 大伴榎本氏(のち榎本氏)は大伴氏の同族で〔太田亮『姓氏家系大辞典』角川書店、1963年〕、大伴狭手彦の後裔と想定される〔宝賀寿男『古代氏族系譜集成』古代氏族研究会、1986年〕。壬申の乱が勃発したとき、吉野宮にいた大海人皇子(のちの天武天皇)は兵力を持たず、使者を出して美濃国で兵を集めさせつつそちらに向かった。はじめ、6月24日に出発したとき、従う男子は20数人にすぎず、莬田(大和国宇陀郡)で大伴馬来田や土師馬手の合流を得ても、30人前後だったと推測される。同日中に甘羅村を過ぎたところで、一行は大伴榎本大国に率いられた猟師20数人と出会った。大国らはすぐに一行に加わった。猟師は武器を携え使い慣れているので、このときの一行にとって心強い味方だったと想像できる。結局この脱出行で戦闘はおきず、その後の大国の活動について記録はない。 == 学説 == 民俗学者の柳田國男は、大国が率いた猟師は吉野の国栖(吉野の山の住民)ではないかという説を唱えた。後世、大友皇子に追われて一人山中に逃れた天武天皇が、国栖の翁なる人に会って祝福されたという伝説が作られたが、これもそれに関係したものかという〔山本幸司『天武の時代 壬申の乱をめぐる歴史と神話』(朝日新聞社・朝日選書、1995年)97-103頁。。〕。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「大伴榎本大国」の詳細全文を読む
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