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大伴潔足[おおとも の きよたり] 大伴 潔足(おおとも の きよたり、霊亀2年(716年) - 延暦11年10月2日(792年10月22日))は、奈良時代の公卿。参議・大伴兄麻呂の子。子に伴和武多麻呂、藤原雄依室がいる。官位は従四位上・参議。 == 経歴 == 天平感宝元年(749年)越前掾の官職にあって、東大寺の寺田の選定に関わった(当時の位階は従六位上)。天平宝字2年(758年)各地方に問民苦使が派遣された際、山陰道に派遣される(この時の位階は正六位上)。天平宝字8年(764年)従五位下・礼部少輔に叙任。のち、称徳朝では刑部大判事・因幡介・因幡守を歴任した。 宝亀2年(771年)11月に従五位上次いで正五位下と続けて昇叙される。宝亀3年(772年)4月に治部大輔に任ぜられたのち、同年9月に地方の政情調査を目的に各地方に五位の官人が派遣された際に山陽道に派遣、宝亀7年(776年)正月に各地方の正税を調査するために検税使が派遣された際に東海道に派遣、同年3月に播磨守に補任されるなど、光仁朝では地方行政に携わっている。 光仁朝末の宝亀11年(780年)正五位上・左兵衛督に叙任されて以降は、天応元年(781年)桓武天皇の即位直後に美濃守、延暦4年(785年)大蔵卿に任ぜられた一方で、兵部大輔・近衛中将・衛門督・兵部卿と武官を数多く歴任した。またこの間、延暦2年(783年)従四位下、延暦6年(787年)従四位上と昇進し、延暦9年(790年)には参議に任ぜられ公卿に列した。 延暦11年(792年)10月2日卒去。享年77。
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