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大伴談[おおとも の かたり]
大伴 談(おおとも の かたり、生年不詳 - 雄略天皇9年3月)は、古代日本の将軍。名は語とも表記する。姓(カバネ)は連。大伴室屋の子(一説には弟)。大伴金村の父。
== 経歴 == 雄略朝の対新羅派遣軍の大将。雄略天皇9年3月、天皇の命を奉じて紀小弓、蘇我韓子、小鹿火宿禰ら他将と共に新羅を討った。新羅王は数百騎の手勢で遁走、それを追撃し敵将を斬るも残兵は降伏せず、談は小弓と共に闘ったが、その夜に戦死した〔『日本書紀』卷14〕。 また、その従者津麻呂も談連が敵に殺されたと聞き「主人が死んだのに生きていても仕方がない」と再び敵中に飛び込み死んだという〔。 『新撰姓氏録』左京神別中によれば、談は父(一説には兄)の室屋とともに衛門の左右を分衛したと記述され、また同じく右京神別上によれば佐伯日奉造(さえきのひまつりのみやつこ)は大伴氏(天忍日命の後裔氏族)と同祖で、談の後裔とされる。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「大伴談」の詳細全文を読む
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