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大光寺合戦 : ウィキペディア日本語版
大光寺合戦[だいこうじかっせん]
大光寺合戦(だいこうじかっせん)は、元弘3年(正慶2年・1333年)から翌 建武元年(1334年)にかけて鎌倉幕府に滅亡にともなう、津軽の豪族による合戦。
== 沿革 ==
正慶2年(元弘3年、1333年)5月、鎌倉が陥落し、鎌倉幕府の滅亡した。執権北条氏の一族の安達高景名越時如らは所領のあった秋田に逃げ、湊の城(現秋田県秋田市土崎港)に立て籠ったが、在地の諸将から朝敵として対峙されたため、やもなく御内人曾我道性を頼って11月に津軽の大光寺楯(現青森県平川市)に拠ったが、これに対し岩館曾我氏の曾我光高や、田舎郡成田泰次工藤貞行らが朝廷方に付き、陸奧国司北畠顕家の命を受けた多田貞綱南部師行らの援助を受け、翌 元弘4年(改元により建武元年(1334年))1月にかけて攻撃を受け、敗れて石川楯(青森県弘前市)に逃げたが、顕家は各地の有力武士を津軽に派遣し、合戦が4、5月と続いたがついに落ち、敗残兵は相馬持寄城(青森県弘前市)に立て籠ったが8月から9月にかけて大光寺側を撃滅し、11月に名越時如、安達高景も降伏した。
この戦功で、岩館曽我氏は岩館と大光寺城を居城として勢力を拡げ、工藤氏も鎌倉幕府滅亡に際して、幕府方と朝廷方に分裂したが、多くは幕府方に付いたため所領を没収された者もいるが、そうした中で工藤貞行の朝廷方としての活躍はめざましかった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「大光寺合戦」の詳細全文を読む



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