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大入りダイヤルまだ宵の口(おおいりダイヤルまだよいのくち)は、ニッポン放送で1975年4月7日から1981年10月30日に20時台 - 24時に放送していたラジオ番組(ブロックワイド)。 == 概要 == *ニッポン放送では、平日の22時以降にわたる夜のワイド番組として最初の番組となった。 *この番組以前にニッポン放送では青島幸男をパーソナリティに、番組名も『青島幸男のまだ宵の口』(放送期間は1963年12月16日 - 1967年2月11日)という番組があったが、当番組とはまったく内容が異なる(ちなみに、テーマ曲はクインシー・ジョーンズの「ソウル・ボサノバ」)。 *初代パーソナリティーは、月-金曜とも高島ヒゲ武(本名は高嶋秀武、当時ニッポン放送アナウンサー)。1976年4月から、金曜はくり万太郎(本名は高橋良一、ニッポン放送アナウンサー)の担当となった。 *「高島ヒゲ武」のマイクネームの使用は1976年からであり、それまでは「高島秀武」の名前で出演していた。このマイクネームのネーミングの経緯について、番組担当ディレクターであった上野修(ドン上野)によれば、高島がヤングタイムのワイド番組である『大入りダイヤルまだ宵の口』のパーソナリティに決まり(直前の1975年3月までは平日12時15分 - 12時55分の昼番組『お笑い昼休み』を担当)、当時「ごくありふれた、特徴のないマジメ型アナウンサーの一人」だった高島のイメージチェンジ作戦の一環として、口髭を生やすようになったということであり〔ラジオライフ1980年10月号p.124〕、その過程で上野自身が「高島ヒゲ武」のマイクネームを考案したようである〔ラジオライフ1980年12月号p.90〕。 *当時番組内では、リスナーの「スタート」コールでテープを高速回転させ、「ストップ」コールで止まったところを再生する文言ですべてを決めるルーレットを多用しており、マイクネームの決定にもこのルーレット方式を採用。高島本人がまず試しにコールしたところ、「エロ武」が出てしまい、「本番でなくてよかった」と胸を撫で下ろしていた。次にリスナーにコールさせたところ、多数の公募作の中から出た文言が「ヒゲ武」であった。 *その後、1979年4月より、月-木曜は、波多江孝文(途中からマイクネームをはた金次郎とする。当時ニッポン放送アナウンサー)、金曜はくり万太郎が担当。さらに1980年4月からは、月 - 木曜はくり万太郎、金曜は塚越孝(当時ニッポン放送アナウンサー、後にフジテレビアナウンサー)となり、金曜については1980年10月より番組タイトルが『はなきんダイヤルまだ宵の口』に変更された。 *聴取率の面で在京他局に差を付け、関東地方の夜のラジオをリードする存在の番組であったが、1980年10月から同じ時間帯で文化放送が『吉田照美のてるてるワイド』をスタートさせると、『宵の口』の聴取率は『てるてるワイド』を下回ることが多くなり(吉田照美のてるてるワイド#概要も参照)、番組を終了することになった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「大入りダイヤルまだ宵の口」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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