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大公報[だいこうほう] 大公報(だいこうほう、Ta Kung Pao)は、中国、香港の新聞。20世紀初頭に天津で創刊され、今も香港で発刊が続いている。中国語新聞としては発行期間が最も長い〔『《大公報》百年史』p.2.〕。 == 創刊 == 創刊者は満州族の英斂之。英斂之は北京の貧困家庭に育ち、キリスト教に入信していた〔『《大公報》与近代中国社会』p.27, 31.〕。彼は戊戌政変時には変法派を支持していたために一時上海や海外に逃れていた〔『《大公報》与近代中国社会』p.33.〕が、義和団の乱後に恩赦されて天津に戻り、1902年に天津のフランス租界にて新聞「大公報」を創刊した〔『《大公報》与近代中国社会』pp.34-47.〕。当初の株主は駐華フランス公使や天津のキリスト教会主教、清朝の満州貴族、中国の文化人、そして天津の人々など多岐にわたった〔『《大公報》与近代中国社会』p.42.〕。その後、1905年に社屋は天津日本租界内に移転した〔『《大公報》百年史』p.184.〕。 「大公報」は政治問題への直言で知られ、言論の自由がなかった当時の清朝に対し、政治批判を行った。そのため清朝から発禁処分を受けることもあったが、治外法権下の租界には清朝の弾圧は及ばなかった〔『《大公報》与近代中国社会』pp.56-62.〕。 英斂之は清朝の立憲君主改革を主張し続けており〔『《大公報》与近代中国社会』pp.82-94.〕、「大公報」は革命による王朝打倒には批判的であった〔『《大公報》与近代中国社会』pp.101-102.〕。しかし辛亥革命により清朝倒壊が決定的になると、1912年に英斂之は「大公報」の経営から手を引いた〔『《大公報》与近代中国社会』p.98.〕。
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