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大刀会[だいとうかい] 大刀会(だいとうかい)は、中国、清代に発生した民間の自衛組織である。「金鐘罩」とも「仁義会」ともいう。 白蓮教の流れをくむとの説もある。会員は農民が中心で、都市の手工業者・貧しい知識人・小商人などもいて、山東省・河南省・安徽省・江蘇省に広がった。 会内では離門と坎門の2つに分かれていた。離門は香を焚き呪文を唱え、刀や槍は持たなかった。坎門は壇場を設立して刀や槍の修業を行うという、宗教的な色彩を帯びた武術結社であった。彼らは呼吸法、霊薬、呪符を飲み込むことによって不死身となり、弾丸を跳ね返すと喧伝した。「掃清滅洋」というスローガンに示されているとおり、常に外国から入ってきたキリスト教会と闘争を行っていた。 1896年6月、江蘇省碭山(現在は安徽省に属す)の大刀会の首領龐盛選(または龐三傑)はキリスト教徒とトラブルになり、山東省の曹県や単県などの大刀会に援助を求めた。山東省の大刀会の首領劉士瑞は彭桂林に群衆千人を率いさせて碭山に派遣し、大刀会は碭山の劉堤頭にあった教会を焼き打ちした。銅山(現在は江蘇省に属す)・豊県・蕭県(現在は安徽省に属す)など各地の大刀会も呼応したが、山東省と江蘇省の清軍によって鎮圧された。翌年7月、碭山の大刀会は再度教会を破壊し、銅山・豊県の会衆も蜂起の準備を進めたが、またもや鎮圧されてしまった。同年、山東省の大刀会は曹州で2名のドイツ人神父を殺害している(曹州教案)。 大刀会の反教会闘争は、義和団の乱の先駆をなすものであったといえる。辛亥革命のときには大刀会は張継・宋教仁ら革命派を支持している。 1920年代の軍閥混戦期には、匪賊、軍閥、徴税吏(後には共産党や日本軍)から村を守るために大刀会は再び勢力を増した。また華北での混乱を避けて満州への移住が盛んになったために、満州でも結成されるようになった。そのため1932年に満州国が成立すると、大刀会は抗日義勇軍の一角を担った。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「大刀会」の詳細全文を読む
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