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大分文化会館(おおいたぶんかかいかん)は、かつて大分県大分市荷揚町にあった大分市運営の多目的ホールを中心とする施設である。 == 概要 == 当会館が建設されるまで、大分市内には大ホールを有する公共施設は大分教育会館しかなく、この施設も老朽化していたため、公的な行事にも百貨店トキハ内に1954年に開設された約800人収容の文化ホールが利用されていた。 そこで、府内城西丸跡に当会館が建設されることとなり〔府内城西丸跡には大分県庁の旧庁舎があったが、1962年に現在地に移転していた。〕、1966年10月12日に開館した。なお、当会館の建設に併行して、府内城の大手門及び3つの隅櫓の復元、及び、2つの櫓の修復も行われた。 以来、当会館は大分県を代表するホールとして、成人式、コンサートや演劇等のイベントに利用されてきた。また、開館当初から2001年までは結婚式場もあり、3,363組が挙式した〔大分文化会館:お疲れ様、文化会館 老朽化、47年の歴史に幕 今夜最後の公演 毎日新聞、2013年10月31日〕。開館翌年の1967年には、利用者が最多の63万6,984人を数え、その後も40万人台 - 50万人台を保っていたが、1977年に大分県立芸術会館、1986年にコンパルホールが開館したことから、イベントの開催が分散。1998年にOASISひろば21が開館して以降は、主要なイベントはOASISひろば21で開催されることが多くなり、当会館は主に地域の行事などで利用され、利用者は10万人台後半 - 20万人台前半に落ち込んでいた〔。 さらに、2013年7月に、大分駅南側に大ホール、小ホールを備えるホルトホール大分が開館することになったため、当会館は同年10月に閉館することが決定〔大分文化会館 来年10月末、閉館へ 大分合同新聞、2012年2月18日〕。2013年10月31日を以て閉館した〔最後の公演満員総立ち 大分文化会館が閉館 大分合同新聞、2013年11月1日〕。利用者は延べ1,700万人以上を数えた〔。 建物は2014年2月から解体が開始され、7月に完了する予定。その後3年間は暫定的に市役所の来庁者用駐車場として利用されるが〔大分文化会館跡は市役所駐車場に/当面3年 朝日新聞、2014年6月27日〕〔大分文化会館解体、写真で進捗伝える : 地域版 読売新聞、2014年6月28日〕、跡地の利用方法は未定で、隣接する城址公園も含めて今後検討される〔。なお、大分市は1993年に、当会館を解体した後の構想として、中期的に発掘調査、城内整備を行った後、長期的には天守閣再建を含めた府内城の復元を行うとする府内城整備基本構想を策定していた。しかし、経済情勢の変化等のために実現の目途は立っていない〔OITA見聞録:大分文化会館閉館まで1年半 府内城再建の「夢」 20年前の「約束」、市は? 毎日新聞地方版、2012年6月25日〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「大分文化会館」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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