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大原 美気(おおはら の みけ、生没年不詳)は、奈良時代から平安時代初期にかけての貴族。駿河守・大原今城の子とする系図がある〔鈴木真年『百家系図』巻55,大原真人〕。官位は従四位下・大膳大夫。 == 経歴 == 宝亀6年(775年)正六位下から二階昇進して従五位下に叙爵し、翌宝亀7年(776年) 右大舎人助に任ぜられる。のち、美作介次いで美作守と地方官を務める。 桓武朝に入ると、天応2年(782年)に発生した氷上川継の乱に連座して京外追放となるが、のちに赦され延暦5年(786年)弾正弼に任ぜられて官界に復帰する。延暦10年(791年)に従五位上に昇叙されると、桓武朝中期以降は順調に昇進し、延暦18年(799年)従四位下・大膳大夫に至る。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「大原美気」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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