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大友興廃記[おおともこうはいき]
大友興廃記(おおともこうはいき)は、江戸時代初期に書かれた軍記物。大友氏の興亡について、大友義鎮(宗麟)・大友義統の二代を中心に記されている。自序によれば、寛永12年(1635年)、佐伯氏の家人・杉谷氏の一族である杉谷宗重によって書かれたとされる〔市川廣太「「絵本」出現の一背景 ―『絵本宝鑑』の著者橘宗重の出自の解明を通して―」 〕。剣巻及び22巻の全23冊から成る〔鹿児島大学附属図書館コレクション 〕。 天正4年(1576年)に日本で初めてフランキ砲(のちに「国崩し」と名付けられる)といった大砲が伝来した記録が記述されていることでも知られる〔菊池俊彦 『図譜 江戸時代の技術 下』 恒和出版 1988年 p.544.〕。 後世に与えてしまった影響として、陣形の相性論がある。巻十二には、「敵魚鱗の陣を取らば、味方は彎月の陣をはるべし。方円を取らば、此方よりは雁行をとるべし。鶴翼を取らば、長蛇を取るべし。鋒箭(矢)を取らば、衡軛(こうやく)を取るべし」と陣形と陣形の相性が記述されているが、実際には相性があったとは考えられず〔乃至政彦 『戦国の陣形』 講談社現代新書 2016年 ISBN 978-4-06-288351-1 p.193.当著の結論として、戦国期の八陣自体、武田信玄が試験的に行った例があるくらいで、それも村上義清が考案した五種の兵種別編隊の陣形によって破られたことで、八陣に実用性がないことが証明されている。〕、後世の歴史シミュレーションゲームにまで「陣形相性説」といった形で影響を与えてしまったとみられている〔乃至政彦 『戦国の陣形』 2016年 p.193.〕。 == 脚注 == 〔
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