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天誅組の変[てんちゅうぐみのへん] 天誅組の変(てんちゅうぐみのへん)は、幕末の文久3年(1863年)8月17日に吉村寅太郎をはじめとする尊皇攘夷派浪士の一団(天誅組)が公卿中山忠光を主将として大和国で決起し、後に幕府軍の討伐を受けて壊滅した事件である。大和義挙、大和の乱などとも呼ばれる。 ==概要== 文久3年前半期は尊皇攘夷運動が最高潮に達した時期であり、長州藩や各地から集結した浪士などから成る尊攘派は、朝廷にも強い影響力を持つに至っていた。この頃の尊攘派の主張には、朝廷が直接各藩に攘夷を命じることのほか、畿内を朝廷の直轄領とするなどの意見がみられたが、天誅組の蜂起は、幕府に対する尊攘派の初めての武力蜂起という点で画期的なものであった。 天誅組の挙兵自体は短期間で失敗に終わったものの、幕府領支配の拠点である陣屋や、小大名とはいえその居城が公然と襲撃されたことは、幕府や幕藩領主らに大きな衝撃を与え、幕府の威光の失墜を更に進行させる結果となった〔岩城卓二「畿内の幕末社会」『講座明治新2 幕末政治と社会変動』(有志舎)2011年、pp.184-185。〕。
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