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大喜鵬将大 : ウィキペディア日本語版
大喜鵬将大[だいきほう まさひろ]

大喜鵬 将大(だいきほう まさひろ、1989年5月13日 - )は、福岡県飯塚市生まれ、東京都江東区育ち〔2012年3月場所の2番相撲までは本籍地である飯塚が出身地として紹介されていたが場所中に訂正された。新入幕に合わせ再度飯塚を出身地とした。実際に九州場所の御当所力士として本場所に出場したのは2013年11月が初めてである。〕で、宮城野部屋所属の現役大相撲力士。本名、および現在の四股名は山口 雅弘(やまぐち まさひろ)。身長183cm、体重160kg。最高位は西前頭16枚目(2013年5月場所)。
== 来歴 ==
3歳で飯塚から東京へ引っ越した。
幼少期はラグビーをしていたが、父親の提案で練習メニューに相撲を加えることになり、小学校4年次に近所の道場へ通い始める。中学校は実家を離れて鳥取市立西中学校へ進学、3年次には相撲の全国大会で優勝している。高校は鳥取西中学と一貫練習を行っている鳥取城北高校へ進学。1年次に出場した全国高等学校総合体育大会相撲競技大会では1年生ながら高校横綱となる大快挙をあげた。1年生横綱は久嶋啓太以来24年ぶりのことであった〔山口が24年ぶりの1年横綱 陸上女子千五百は小林 47news 2012-06-22閲覧〕。その時の決勝戦の相手は李大源であったが、翌年の大会では準々決勝で対戦し、敗れてしまった〔高橋が女子100mで3連覇 高校横綱は李大源 47news 2012-06-22閲覧〕。
高校卒業後日本大学文理学部体育学科へ進学、2年次には既にレギュラーとして団体戦に出場していた〔学生相撲、日大が3年ぶり優勝 全国選手権、東農大を退ける 47news 2012-06-22閲覧〕。4年次には主将を務め、国体相撲成年個人の部で優勝、国体横綱となる。この大学時代には明月院秀政を電車道で破るなど、当時からその実力は高く、高校・大学の先輩でもある元大関・琴光喜にも既に幕内級の実力があると認められた〔琴光喜が〝角界復帰〟していた 東スポWeb 2012-06-22閲覧〕。
先述のタイトルを含め、アマチュア時代に19個のタイトルを獲得した山口は、琴光喜を通じて知り合った横綱白鵬からのスカウトを受け、宮城野部屋へ入門した〔国体覇者で日大の山口が宮城野部屋へ!白鵬も太鼓判 スポニチアネックス 2012-06-22閲覧〕。国体横綱ということで幕下付出での入門が承認され〔国体Vの山口の幕下付け出しを承認 宮城野部屋からデビュー スポニチアネックス 2012-06-22閲覧〕、2012年3月場所、幕下15枚目格付出で入門した。平成生まれ初の学生相撲出身力士である〔この場所で初土俵を踏む力士の中でも学生相撲出身者は山口ただ1人であった。〕。同年7月場所では東幕下5枚目の地位で7戦全勝の幕下優勝を果たし、9月場所での新十両昇進を決めた。新十両昇進と同時に、それまで本名のままであった四股名を「大喜鵬」に改めた〔新十両に山口改め大喜鵬ら=大相撲 時事ドットコム 2012-07-25閲覧〕。場所後、両国国技館で行われた昇進披露宴では「皆さまのおかげで無事に昇進できました。これからはしこ名の通り、大勢の人に喜んでもらえるよう、稽古に精進していきます」とあいさつを兼ねて四股名の由来を語った。〔新十両の大喜鵬 200人が昇進祝う Sponichi Annex 2012年9月1日 18:36 〕その後、十両は4場所で通過した〔白鵬からは十両2場所通過を命じられていたとのこと。大喜鵬に白鵬ノルマ「十両2場所通過」  nikkansports.com 2012年7月26日7時50分 紙面から〕。
2013年5月場所に於いて新入幕(西前頭16枚目)を果たし、それに合わせ出身地を自身の生まれた場所でもある飯塚に変更。師匠との記者会見では飯塚に変更した理由も明かした。福岡県からの新入幕は、2011年11月場所の松鳳山以来23人目。その場所は初日から7連敗し、8日目に初白星を挙げたが、腰から落ちる相撲に終始し下半身の脆さを露呈してしまい、3勝12敗と大きく負け越した。その直後の7月場所、続く9月場所も調子が上がらず連続して7勝8敗に終わる。2013年11月場所は9日目に2勝7敗と後がない状況に追い込まれ苦しむも、御当地力士として受けた声援に元気づけられ「成績がついてくれば応援ももっと増えるのかな」と奮起した〔『相撲』2013年12月号65頁〕甲斐あって千秋楽まで6連勝と挽回して4場所ぶりの勝ち越しを果たす。2014年1月場所は9日目の照ノ富士戦で左脇腹を骨折したことで10日目から千秋楽まで1勝5敗と大きく失速し、場所を5勝10敗の不成績で終えた。〔『相撲』2014年2月号65頁〕同年5月場所の番付には負け越せば幕下陥落がほとんど確実な地位である東十両14枚目に名前が載り、足の指の付け根に水が溜まる故障に苦しんでこの場所は9日目に負け越しを確定してしまい、最終的に2勝13敗で11場所連続で務めた関取の地位を手放すことになった。続く7月場所は東幕下10枚目の地位で4連敗してから途中休場。入門以来初めての低地位となる西幕下45枚目まで後退した9月場所も7戦全敗と振るわず、翌11月場所は東三段目21枚目まで番付を後退させてしまったがこの場所は4勝3敗と1年ぶりの勝ち越しに終わった。2015年3月場所から四股名を本名の山口に戻した。同年11月場所より幕下に復帰。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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