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大垣県 : ウィキペディア日本語版
大垣藩[おおがきはん]
大垣藩(おおがきはん)は、美濃国大垣周辺を支配した。藩庁は大垣城(現在の岐阜県大垣市郭町2丁目)に置かれた。
江戸時代初期には短期間で藩主として4家が交替したが、寛永12年(1635年)以降は戸田氏が10万石で入り、幕末明治維新期まで存続した。
== 藩史 ==

=== 前史 ===
大垣の地は美濃と近江を結ぶ最重要拠点として重要視されていた。そのため、斎藤道三織田信秀による争奪戦も行なわれているほどである。
織田信長の時代には西美濃三人衆氏家直元、直元の死後は氏家直昌が城主となっている。豊臣秀吉時代には池田恒興豊臣秀次豊臣秀長加藤光泰一柳直末豊臣秀勝、そして伊藤盛正豊臣政権の重鎮が城主となっている。
慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いのとき、大垣3万石の領主だった盛正は西軍に与した。石田三成(西軍)にとっても、徳川家康(東軍)にとっても、大垣城を確保することは何よりも重要であった。なぜならば、戦場となる関ヶ原は大垣からわずかに西に位置するからであった。家康も関ヶ原の直前、大垣城の西北およそ一里にある岡山(関ヶ原戦勝後に勝山と改名)に布陣しているほどである。しかし三成は関ヶ原での決戦に臨んで大垣を放棄した。盛正は関ヶ原で敗北して改易となり、その後は家康の家臣・松平康重が大垣城在番として城を守備した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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