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大城基志 : ウィキペディア日本語版
大城基志[おおしろ もとし]

大城 基志(おおしろ もとし、1987年8月20日 - )は、JX-ENEOS野球部に所属する野球選手(投手)。
== 経歴 ==
宜野座高時代、3年時の夏は沖縄県予選準々決勝で敗れ、甲子園出場は果たせなかった。3年夏の甲子園県予選で1試合18奪三振の県記録を樹立、2011年現在破られていない。
高校卒業後は、九州地区大学野球連盟に加盟する名桜大学に進学。入学直後の1年時春と4年時春に、九州地区大学野球選手権大会で準優勝と後1勝で神宮というところで2度涙を呑んだ。特に4年時春は、日本文理大学古川秀一と投げ合い、4-3と1点差で敗戦している。
大学卒業後は、JX-ENEOSに入社。1年目の春から公式戦に出場。同年の第65回JABA東京スポニチ大会では、新人賞を獲得した。同年夏の第81回都市対抗野球大会ではチームは予選で敗退するも大城自身は三菱重工横浜の補強選手として出場。3試合に登板し6回を自責点1と好投し同チーム初の4強入りに貢献した。同年秋の第37回社会人野球日本選手権大会でも3試合に登板し20回を自責点2に抑え2勝(1敗)を挙げ、JX-ENEOSの4強入りの原動力となった。
2年目は、第66回JABA東京スポニチ大会の日本新薬戦では、8回途中を無失点に抑え9奪三振を記録する力投を見せた〔今秋ドラフト候補の大城 今季初先発で力投9K スポニチ Sponichi Annex、2011年3月11日〕。チームは決勝進出を果たし、NTT西日本と対戦していたが、1回途中で東北地方太平洋沖地震が発生したためノーゲームとなり、両チームが優勝となった。
同年の第82回都市対抗野球大会予選の2次予選には、第1代表決定戦に3番手として登板し、4安打無失点に抑え代表権獲得に貢献した。しかし夏以降調子を落とし、都市対抗1回戦でも先発を任されるも4回途中5失点と炎上し敗戦投手となった。
2012年、第83回都市対抗野球大会では、4試合16回を投げ自責点1の好成績で2勝を挙げチーム10度目の優勝に貢献し、最優秀選手賞にあたる橋戸賞を獲得した。また、同年秋の第38回社会人野球日本選手権大会でも3試合16回を投げ自責点2で3勝を挙げ、チームの優勝に大きく貢献し最高殊勲選手賞を獲得した。
翌2013年、第84回都市対抗野球大会では準決勝の完投勝利を含む5試合全てに登板し、51年ぶりの連覇に大きく貢献。昨年に続き橋戸賞を獲得した。都市対抗野球大会において2年連続での橋戸賞獲得は1951-52年の松井実内野手(全鐘紡、日本生命に補強)以来61年ぶり2人目の快挙。また、日本選手権とあわせて3季連続のMVPは史上初の快挙であった。
NPBドラフト会議では、2011年度以降指名候補といわれるものの指名には至らず、28歳となった2015年度ではスポーツ紙などでも指名候補から名前が外された。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「大城基志」の詳細全文を読む



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