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大塚節治 : ウィキペディア日本語版
大塚節治[おおつか せつじ]
大塚 節治(おおつか せつじ、1887年3月3日 - 1977年11月18日)は、大正昭和期のキリスト教神学者、文学博士。旧姓は沖田。同志社第13代総長京都市名誉市民1973年)。
==経歴==
1887年明治20年)広島県高宮郡飯室村(現在の広島市安佐北区安佐町)生まれ。広島県立師範学校講習部から同志社普通学校に学び、1912年渡米。ユニオン神学校コロンビア大学留学ジョン・デューイらの下で哲学倫理学を専攻しマスター・オブ・アーツの学位を受ける 1916年帰国し同志社大学神学部助教授就任。1919年教授となり、多くの著書、論文を発表、キリスト教倫理学および組織神学を講じた。学風は自由主義神学の伝統を踏襲しつつ、弁証法神学を取り入れたもので、日本では未開拓に近かったキリスト教倫理の基礎を築いた。
1925年文学部長、戦後1949年文学博士1950年同志社大学学長、同志社理事長後、同年、同志社13代総長就任。1963年まで13年間その任にあって、戦後の世相および学制改革に伴う混乱期、時代の要請に応じ、同志社諸校の校舎拡充など、戦後の同志社発展の土台作りに尽力した。
1957年同志社大学名誉教授1972年同志社大学名誉神学博士1964年勲二等瑞宝章受章。私学振興の多大の貢献と京都市の学術文化の向上寄与により1973年、京都市名誉市民の栄誉を受けた。1977年逝去。
太平洋戦争中、キリスト教は迫害を受け学問の自由も束縛された。その反省から、戦後は学者として新憲法を護る発言を続けた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「大塚節治」の詳細全文を読む



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