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大夫房覚明 : ウィキペディア日本語版
覚明[かくみょう]

覚明(かくみょう/かくめい、生没年未詳)平安時代末期、鎌倉時代初期の大夫房覚明信救得業(しんぎゅうとくごう)とも。元は藤原氏の中下級貴族の出身と見られる。源義仲右筆
== 生涯 ==
平家物語』「願書」によると、覚明は俗名を道広といい、勧学院儒学を学び、蔵人などを務めたが、発意あって出家し、最乗房信救と名乗った。最初は比叡山に入り、南都にも行き来していたという。
治承4年(1180年)の以仁王の挙兵に際し、以仁王令旨によって南都寺社勢力に決起を促されると、覚明は令旨に対する南都の返書を執筆し、文中で平清盛に対し「清盛は平氏の糟糠、武家の塵芥」」と激しく罵倒して清盛を激怒させた。平氏政権によって身柄の探索を受けた覚明は北国へ逃れ、その過程で源義仲の右筆となって大夫房覚明と名乗る。その後義仲の上洛に同道し、比叡山との交渉で牒状を執筆するなどして活躍した。
義仲死後は元の名の信救得業を名乗り、箱根山に住んだ。鎌倉でも活動しており、『吾妻鏡』によると、建久元年(1190年)5月3日、源頼朝北条政子夫妻列席の下、頼朝の同母妹である坊門姫の追善供養を行い、足利義兼を施主とする一切経両界曼荼羅供にも参加している。しかし建久6年(1195年)10月13日条に、頼朝により箱根神社への蟄居が命じられたことが記録されており、何らかの忌避に触れたものと見られる。
文学的才能に長け、箱根神社の縁起を起草し、『和漢朗詠集私注』を著している。『沙石集』では覚明について、その文才と舌鋒の鋭さによって各所で筆禍事件を起こしている様子が記されている。
覚明については謎と伝承に彩られており、その後についても、義仲の遺児にまつわる覚明神社(広島県尾道市向島)の落人伝説や、海野幸長と同一人物とする説、西仏と名乗って親鸞法然に帰依したとの説もあるが、伝承の域を出ない。仁治2年(1241年)85歳没とする寺伝もあるが、確証はない。
『平家物語』に覚明著とされる願文などが複数収められている事から、物語成立への関与も指摘されている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「覚明」の詳細全文を読む



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